【書評】人間が抱える暗い実相を描いたホラー小説の傑作:小田雅久仁著『禍(わざわい)』

AI要約

宝島社主催「このホラーがすごい!」で1位に選ばれた『禍』は、7つの短編で構成された背筋も凍るホラーの秀作。

著者は日常生活に忍び寄る不気味な「禍」に巻き込まれる物語を展開し、各短編で身体の部位が題材となっている。

ランキングには過去の名作も含まれ、ジャンルを超えた怖さと人間の暗い実相を描いている。

【書評】人間が抱える暗い実相を描いたホラー小説の傑作:小田雅久仁著『禍(わざわい)』

滝野 雄作

6月に発表された宝島社主催「このホラーがすごい!」の1位に選ばれたのが『禍(わざわい)』だ。本書は7つの短編で構成されているが、日常生活に忍び寄る背筋も凍るホラーの秀作が並べられている。酷暑続きの折、肝を冷やす読書もまた一興か。

「このホラーがすごい!」は、宝島社が定評のある「このミステリーがすごい!」に続き今年(2024年)創設したもので、昨年4月から今年3月までに刊行された作品のなかから、41人のホラー作品の読み手によってランク付けされている。ちなみに2位は『近畿地方のある場所について』(背筋著)、3位が『をんごく』(北沢陶著)となっており、いずれもベストセラーになっている。

本作に収められた7つの短編は、寡作な著者が2013年から2021年にかけて小説誌に発表したもの。それだけに凝りに凝って作り込まれた物語になっており、いずれも登場人物のリアルな日常生活から、ひょんなことがきっかけで異世界へ放り込まれ、不気味な「禍」に巻き込まれていくのである。

いくつか紹介しておこう。初めに収録された「食書」は、書けなくなった作家が、本のページを破って食べている奇妙な女を目撃する。彼女から「1枚食べたらもう引き返せないからね」と捨てぜりふを吐かれ、作家はその意味が気になって仕方がない。試しに1枚、ページを破って食べてみると、恐ろしい虚構の世界に落ちていき、もはや現実世界では生きていけなくなる。

「耳もぐり」は、恋人に失踪された男が、彼女のアパートを訪ね、隣人を名乗る怪しげな男と遭遇する。そこで彼が異様な話を口にする。男が別の人物の身体の中に入り込む「耳もぐり」という特技とはどういうものなのか。それを知った主人公は戦慄(せんりつ)の体験に巻き込まれ、もはや平穏な日常には戻れなくなる。恋人はどうして消えたのか。

この短編集は、それぞれ「口」「耳」「目」「鼻」「髪」というように、人間の身体の部位が題材となっているのが特徴だ。生者から死者となってその部位だけ取り出された時、それはまことに奇妙な物体となり、見る者に生理的な嫌悪感をもたらす。そこを入口として、著者は身の毛もよだつ怪奇な世界へと読者を引きずり込んでいく。途中でページを閉じることはできない。怖いけれども、その先を知らずにはいられないのだ。

著者は「子どもの頃から散髪した髪の毛が床に散らばっている光景が、なんとも言えず気持ち悪くてイヤだった」とインタビューで答えているが、「髪禍(はっか)」は幼少期の不快な経験から生み出されたものである。「髪」を「神」と崇める新興宗教の秘儀にアルバイトのサクラとして参加した女性は、人里離れた山奥の本部に連れ込まれ、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の光景を目撃することになる。

「農場」では、仕事にあぶれた若者が、摩訶不思議なモノを生産する農場で働くことになる。赤黒い液体をたたえた巨大なタンクの中には、人間から切り離された大量の鼻がプカプカと浮かんでは沈んでいく。この鼻からいったい何が生れて来るのか。若者は、この農場から逃れることはできない。

──というように、全編、不条理でゾッとする世界が展開され、一つ一つを一気に読み終えると異物を飲み込んだような、なにやらザワザワとしたザラつく感覚が後を引くのだが、終末の世を生きる男女を描いた「喪色記」では希望に満ちた余韻を残してもいる。

これらの作品群は「ホラー小説」とジャンル分けされてはいるものの、ただグロテスクな世界が創造されているだけではなく、そこに欲とか業とでもいうべき人間が抱える暗い実相が描かれているのであった。

最後に付け加えておけば、この『禍』も含めランキングが発表されたムック本の『このミステリーがすごい! 2023年のホラー小説ベスト20』(6月27日発行)は、ファンにとってはかっこうの読書案内になっている。この中からチョイスすればまず外れはないが、過去作品を紹介した「押さえておきたい! 必読ホラー20選」も興味深い。

それによれば国内編の1位が江戸川乱歩の『人間椅子』(1925年発表)で、海外編では極めつけの古典になるが1位が『フランケンシュタイン』(1818年発表、メアリー・シェリー著)で、2位が『ドラキュラ』(1897年発表、ブラム・ストーカー著)となっている。納得である。

滝野 雄作

書評家。大阪府出身。慶應義塾大学法学部卒業後、大手出版社に籍を置き、雑誌編集に30年携わる。雑誌連載小説で、松本清張、渡辺淳一、伊集院静、藤田宜永、佐々木譲、楡周平、林真理子などを担当。編集記事で、主に政治外交事件関連の特集記事を長く執筆していた。取材活動を通じて各方面に人脈があり、情報収集のよりよい方策を模索するうち、情報スパイ小説、ノンフィクションに関心が深くなった。