「昔のほうがよかったと批判される可能性はある」20年続く大人気シリーズをそれでも丸ごと書き直した「ワケ」と「覚悟」

AI要約

神永学さんがデビュー二十周年を迎え、自費出版から始まった作家生活について振り返る。

書店での本の置かれ方や作家としての孤独な道のり、そして異端としての進化について語る。

他の作家さんとの交流の難しさから生まれた独自のスタイルとポジティブシンキングの重要性を説く。

「昔のほうがよかったと批判される可能性はある」20年続く大人気シリーズをそれでも丸ごと書き直した「ワケ」と「覚悟」

自費出版した一冊の本が、絶大な人気を誇る伝説級タイトルに。二十年の作家生活を経て見えてきたものとは、そして令和版「八雲」シリーズの進化とは。常に変化を続ける神永学さんの「いま」を語っていただきました。

写真:村田克己 聞き手・構成:あわいゆき

神永 学(かみなが・まなぶ)

1974年山梨県生まれ。日本映画学校卒業。2003年『赤い隻眼』を自費出版し、同作を大幅改稿した『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』で2004年にプロ作家デビュー。代表作「心霊探偵八雲」をはじめ、「天命探偵」「怪盗探偵山猫」「確率捜査官 御子柴岳人」「浮雲心霊奇譚」「心霊探偵八雲 INITIAL FILE」「悪魔と呼ばれた男」などシリーズ作品を多数展開。著書には他に『イノセントブルー 記憶の旅人』『コンダクター』『ガラスの城壁』『ラザロの迷宮』『マガツキ』などがある。

──このたびはデビュー二十周年、おめでとうございます。この二十年間を振り返ってみて、デビューした当時の思い出などはありますか?

神永ぼくは新人賞を受賞するのではなく、自費出版した『赤い隻眼』を文芸社さんのプロジェクトによって、商業出版作として売り出していこうという経緯でデビューしました。だから最初はそもそも書店に本を置いてもらえなかった。受賞すれば何者かにはなれるけれど、それもない。「どこのだれだ」状態からスタートしたんです。

──本を置いてもらえないときは、どうされたんですか?

神永営業の方と一緒に書店を巡って、「本を置いていただけないでしょうか」と直接お願いしていました。もちろん断られることも多く、そのときの経験を通して、書店に本を置いてもらうありがたみや大切さを実感しました。また、書店員さんと交渉をするなかで、本を入荷する際に書店側が抱えるリスクなど、出版業界のビジネスについても叩き込まれました。こんな経験をしている作家は、ぼくぐらいではないかなと思います。新人賞を受賞していないことによるハンデはほかにもいろいろあり、たとえば授賞式のパーティーにあまり呼ばれないんです。他の作家さんと交流する機会が少なく、十六年目に京極夏彦さんとご一緒させていただくまで、だれかと対談したことがありませんでした。帯コメントをいただいたのも「INITIAL FILE」シリーズが初めてだったんです。献本をいただくようになったのも三、四年前からですね。

──SNSではよく本をご紹介されているので、意外です。

神永ぼくが紹介している本は自分が欲しいと思って買っているだけです。他の作家さんを紹介しているのも、作家にとって読まれることがいちばんうれしいことだと身をもって知っているからですね。ぼくは業界のなかでずっと、異端中の異端だったんですよ。なんかいるけど何者だ、みたいな。最近になってようやく、読んだ本を紹介しているうちにお相手の方から絡んでいただいたり、日本推理作家協会のパーティーでお会いする機会を通して人間関係が構築できるようになりました。

──ひとりで書き続けるのは、苦労もあったのではないかと思います。

神永もちろん苦労したのでオススメはしないです(笑)。ただ、よかったこともありました。異端だったおかげで、出版業界のなかで他とは違う自分のスタイルを見つけられたんです。十数年間、ほかの作家さんから業界の裏話や「小説とはこう書くべきだ」みたいな話を一切聞かずに育ったんですよ。おかげでだれにも影響されず、自分の作品を書き続けることができた。いま考えてみると、独自の進化を遂げられたんじゃないかなと思っています。よくポジティブシンキングが長所だと言われるんですけど、そうなったいちばんの理由はひとりで突っ走ってきたからかもしれません。