お洒落な恵比寿で目黒新富士跡へ向かう【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド】

AI要約

東京都心にある目黒新富士をプロハイカーの斉藤正史さんが紹介。恵比寿から目黒新富士までの道のりを歩きながら体験する様子。

目黒新富士の歴史や馬頭観音について紹介。江戸時代に人気の富士塚だったが、現在は姿を消している。

目黒新富士の築山や庭園の様子を紹介。富士山が綺麗に見える景色だったことも考えられる。

お洒落な恵比寿で目黒新富士跡へ向かう【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド】

東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。

FILE55は、お洒落な恵比寿にあるという目黒新富士です。

◆みたび、登山口はJR恵比寿駅西口登山口です。

今回の目黒の山々では、オシャレな街だけにネタの心配がありました。今回もどうすべきか考えつつ出発したのでした。恵比寿銀座を真っすぐ進むとあるらしい、目黒新富士を目指して歩いていきます。僕の場合、予めネタを考えて歩くのではなく、歩きながら感じたままに進む「DON’T THINK.FEEL!」のブルスリースタイルですので、毎回当たり外れが多く、ドキドキしてしまいます。

◆とりあえず恵比寿銀座を真っすぐ歩きます。

目黒新富士までの道のりは、ひたすら真っすぐ歩くのです。何かネタがないかきょろきょろ。ん?あれ、この店来たな、いつ、誰と来たのかはハッキリ覚えていませんが、20年くらい前でしょうか。当時からどこか懐かしく古き良き昭和の匂いのする喫茶店でした。今では時々ドラマ等で登場することも多いらしいですよ。調べてみるとテレビ朝日の相棒シリーズで登場する回数が特に多いようです。

◆まだ真っすぐ歩く

喫茶銀座を過ぎそのまま歩いていくと、また見覚えのある物がありました。FILE54目黒元富士で登場した道しるべでした。この渋谷広尾と呼ばれたエリアは、江戸時代小規模な集落で、町並みを外れると人家もない寂しい所だったそうです。現在はオシャレな町で多くの人が行き交う町ですが、江戸時代には暗く寂しい谷間だったのかもしれませんね。

◆次第に登る道

徐々に道の斜度が上がってきて、目黒新富士がありそうな雰囲気になってきます。もうこの辺からは恵比寿銀座通りではなく、新富士坂という坂になっているようでした。少し登っていくと、馬頭観音があります。どんどん雰囲気が高まってきました。

※馬頭観とは、観世音菩薩の化身で六観音の一つ。人身で頭が馬のものと、馬の頭飾りを頂くものとがあります。馬頭は諸悪魔を下す力を象徴して煩悩を断つ功徳があるとされています。しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰されたそうです。

◆坂を登り切りると

(こうしんとう)と共に、目黒新富士と新富士遺跡の看板が、別所坂へ少し下った所に出ていました。これなのだろうか?先を見ると道は別所坂を下るしかありませんでした。とても急な別所坂をゆっくり下っていきました。1度通り過ぎたのですが、坂を下りきる所に、別所坂児童遊園の入り口があり、入り口から上の方を見ると公園になっていました。なんとなく直感で登ると目黒新富士があると直感しました。

◆目黒新富士が・・・・

急な公園の階段を登り進めていきます。一番高い場所まで行くと目の前はマンション。右手奥には柵があり、その奥は手が付けられていない木々の生えている空き地でした。植え込みを見ると新富士の文字がある看板がありました。江戸時代には人気の富士塚だったようですが、現在はその姿がありませんでした。

目黒新富士は1819年に、択捉島(えとろふとう)探検で知られる近藤重蔵が邸内に築いたそうです。近藤富士とも呼ばれ低層で、邸内に三田用水を引いて滝を造るなどして熱心に庭園を作ったそうで、富士の築山も信仰心からというより観賞のためと考えられるそうです。

在りし日の目黒新富士、富士山が綺麗に見えたのかもしれませんね。景色は変わりましたが今でも十分素敵な景色です。

次回はFILE56浅草にある弁天山です。

私が書きました!

プロハイカー 斉藤正史

2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。