柄谷行人回想録:自分を内部に「閉じ込める」 外部に向かうために

AI要約

柄谷行人は、過去の著作についてあまり関心を持っておらず、記憶も実感もないと述べている。

過去の作品に批判的に切り込むことはできないとし、自身の本を書いた意図も思い出せないと明かしている。

一方で、「マルクスその可能性の中心」に不満を抱いた経験があったことを語っている。

柄谷行人は、アメリカでポール・ド・マンに出会い、原稿を短縮したバージョンを提出した際に、「完全なものを書きたかった」ため断った経緯についても回顧している。

過去の経験や著作に関して深く振り返ることに苦労しながらも、自身の思考や行動について率直に語っている。

柄谷行人回想録:自分を内部に「閉じ込める」 外部に向かうために

 柄谷行人さん(82)は、戦後長きにわたって国内外の批評・思想に大きな影響を与えてきた。柄谷行人はどこからやってきて、いかにして柄谷行人になったのか――。そのルーツから現在までを聞く連載の第16回。

――柄谷さんは、『マルクスその可能性の中心』『日本近代文学の起源』など大きな仕事をされた後、数学や建築など文学以外の領域に興味を移していきますね。そこで壁にぶつかったと聞いています。

柄谷 この頃のことは本当によく覚えてないんですよ。思い出したくもないということかもしれないけど。

――つらい記憶を呼び覚ましてすみません。

柄谷 いや、つらい記憶、というほどにも覚えていない(笑)。過去に書いたもののことは大体きれいに忘れているけど、この頃のことは、とくにそう。

じんぶん堂でのこの連載を始めてから、継続的に過去の著作に目を通してきたけど、実のところ、本当には読めていない。まず、本音ではまったく関心を持っていない、ということがある(笑)。この無関心は、がんばってみても乗り越えられない。あなたが、「このように書いてありますが、こんな意味でしょうか」というようなことを質問してくれますよね。もっともだな、とか、面白いな、とは思うので、「そうですね。こんなことなのかもしれない」とかいうふうに答えはするけど、本当は納得していないんだ(笑)。自分が書いたという記憶も実感もない。だから、過去の著作に批判的に切り込むなんて、はなから無理だよね。まあ、もともとそれは著者の役割じゃないのかもしれないけど。

ともかく、自分はこういう人間だから、回想のようなことをやるのは無理だとずっと思ってた。それなのに、なぜか始めてしまったから、困ることも多いんだ。「知らん、忘れた」じゃすまないから。出来事なら何とか思い出せても、自分が何を思って本を書いていたかなんて、思い出せないよ。書いているときにだって、分からないんだから。本に書いてある以上のことが、いえるはずはないんだ。

質問に戻ると(笑)、「マルクスその可能性の中心」の内容に不満があった、ということはありました。

――繰り返しになりますが、少し振り返ります。柄谷さんは、74年に日本で「群像」に「マルクスその可能性の中心」を連載した後、アメリカに渡ってポール・ド・マンに出会い、彼に読ませるために英語で短縮版の原稿を書きますね。ド・マンはそれを気に入って、関わっている雑誌に載せるといってきたとき、柄谷さんは断りました。「完全なものを書きたかった」とおっしゃっていましたね(第12回参照)。