魔法が解けた品々に、もう一度魔法をかける。青柳龍太が語る「古道具坂田 僕たちの選択」展

AI要約

中国の杭州、BY ART MATTERSという美術館で、坂田和實さんの中国で初めての回顧展となる展覧会が開催されています。展示空間は坂田さんらしさを伝えるために工夫され、魔法が解けた品々に再び魔法をかける作業を行っています。

坂田さんの美意識や物へのアプローチを体感できる展覧会では、具体的な品々の説明を一切排除し、美しさや調和を追求しています。展示空間は坂田さんによる「調和」を目指すスタイルに合わせて構成され、全体として美しい空間を作り上げています。

展覧会のカタログも同様に特別な仕様で制作され、会場と同じ雰囲気を提供するため、456点の品々がそのまま紙面に収められています。読者は自由に順番を組み換え、好きな品を取り出して飾ることも可能です。

魔法が解けた品々に、もう一度魔法をかける。青柳龍太が語る「古道具坂田 僕たちの選択」展

魔法が解けた品々に、もう一度魔法をかける

品々が美しく在るだけではなく、全体として何故か美しい、「調和」を目指した展示空間

 中国の杭州、BY ART MATTERSという美術館で、坂田和實さんの中国で初めての回顧展となる展覧会

が開催されています。キュレーターを務めさせていただいた僕としては、誰よりも坂田さん本人に見ていただきたかったのですが、残念ながら、間に合わすことはできませんでした。どのようにするべきなのか、もう坂田さんに聞くことはできないなかで、自分なりに、坂田さんらしさとはなんであるのか、それをこれからの若い世代の人々にどう伝えていけばいいのかを自問自答しながらの展示となりました。

 まず展覧会について説明させていただきます。この展覧会には、展示された品々に対する具体的な説明は一切ありません。もちろん古道具、古美術を学んでいくうえで、産地や時代は大切な手がかりになります。しかし今回は、あえてそれらをすべて排除しました。

 僕が初めて古道具坂田に訪れたときに感動したのは、貴重な品や高価な品があったからではありません。それらの品々がなんであるのか、僕にはまったく知識はありませんでしたが、そんな知識はなくとも、ただただ美しい、その事実に圧倒されました。ある意味では、それらの品々が未知の物であったからこそ、肩書きに惑わされずに、素直に、それらの美だけを体験することができたのかもしれません。それはまるで中世ヨーロッパで錬金術師が、空に登るためのロープや、卑金属を目の前でたちまち金や宝石に変える秘術を披露していたかのように。目白の古道具坂田の空間で見る品々は、密やかに、しかし確かに生命力に等しい美しさを放っていました。

 しかし晩年、僕はそれらの品々が、霧散していく現実も目の当たりにしていました。コレクターも高齢化していくなかで、坂田さんからのコレクションを持て余し、二足三文で処分されていった品々。それらは古道具坂田にあったときの輝きを失って、再び沈黙し、ただのありふれた古道具となり、また何処かへと消えてゆきました。この展覧会は、古道具坂田という店がなくなり、また坂田さんも居なくなってしまい、魔法が解けた品々に、もう一度魔法をかける、そんな作業でした。

 物の美はある意味では幻のように掴みどころがない。特に日本の文化を背景とする美意識は、単体としての強度のある美ではなく、物と物の組み合わせ、質感と質感、色彩と色彩の複雑な配置、空間性のなかで初めて姿を現す秘密めいたものだと僕は思っています。井戸茶碗も、見方によっては、口をつけることすら憚られる薄汚れた物に見えてしまう危うさがあるのではないでしょうか。ですから、展示は、ガラスケースに納めて陳列するというような在り方ではなく、もっと有機的に、複雑に、しかしシンプルに、それぞれの物の、形と、質感と、色彩を、組み合わせたときに、お互いに響き合うのか、その点だけを基準にして、配置されています。

 坂田さん自身の言葉を借りるならば、その作業は、統一を目指したものではなく、「調和」を目的としています。一つひとつの品々が美しく在るだけではなく、全体として、空間として、何故か美しい、そんな展示となるように。

 坂田さんに近しい人々へのインタビューを上映しているエントランスは、言葉のみで構成されていますが、その後の長い廊下を抜ければ、展覧会は、ほとんど物だけによって成り立ち、大きく分けて3つの構成になっています。1階の最初の大きな空間は、坂田さんがどんな物にも美を見出そうとしていたことを感じてもらいたいと思い、本当に様々な品々を並べました。世間一般で言えばゴミと呼ばれ見捨てられてしまうような品々も含まれ、美はあらゆる物に発見できる、その可能性を提示しました。6階のひとつ目の部屋は、坂田さん由来の品々を使って、僕にとっての理想の美を追求しています。圧倒的に美しい空間をつくりたかった。もしかしたら、それは僕にとって坂田さんとの物を介した内なる対話であったのかもしれません。捧げるような気持ちで空間の構成を考えました。そして6階のもうひとつの部屋は、きっと最も坂田さんらしい空間になっています。坂田さんならこんなふうに展示したのではないかと考えながら構成しました。実際に目白の古道具坂田で使われていた琉球畳を床に敷き、坂田さんを知らない人にも、より坂田さんの存在を、または古道具坂田の気配を濃厚に感じていただきたいと思いました。あるいは逆説的に坂田さんの不在を。そして、それは僕にとっては沈黙の部屋でもありました。1階から6階へと進んでいくにつれ、自然光は減ってゆき、明るい空間から徐々に暗い空間へと変化するようにもなっています。進むにつれ、自然な流れで、より内省的な美の世界へと旅をしてもらうためです。

 写真や言葉では体感することができないそれらの空間を、是非、現地まで行って体験してほしいと切に願っています。

1500部全てすべてが特装版。展覧会の世界観を提示するカタログ

 さて、展覧会はその会場だけで成立するものではありません。ポスター、サイネージ、カタログ、それらも同じように、世界観を提示する大切な要素で、それらを含めてトータルでひとつの展覧会だと僕は思っています。そういった意味で

今回の展覧会カタログは、僕にとっては、展覧会会場と同じだけの熱量を持って取り組みました。掲載されている456点の品々の6割以上は今回が初公開となります。

  会場と同じように、やはり物に対する説明は一切ありません。本という形で綴じられてもいません。あたかも456点の品々がそこにあるかのように1枚1枚の紙に収められています。便宜上、456点の品々に順番をつけて並べ、僕なりの物語をカタログに閉じ込めましたが、それすらも解体され、手に取ってくださった方によって、それぞれの好きな順番に組み換えて、それぞれの景色に自由に置き換えてほしいと思っています。またもし456点のなかから好きな物を見つけたならば、その1枚(1点)を壁に飾って楽しんでいただければ嬉しく思います。

  古道具坂田を経由した456点の品々が印刷された紙片を包むタトウの表紙には、閉店し空っぽになった古道具坂田の壁に遺された、李朝の棚の跡の写真が貼られています。このカタログがいつか陽に焼け、手擦れでボロボロになり、バラバラに1枚1枚とまた失われていくこと、それすらもしかしたら坂田さんらしいのではないかと、このような仕様にしました。1500部すべてが特装版というコンセプトのカタログです。是非手に取ってご覧になってみてください。

  この展覧会とカタログを見てあなたはどんな顔をして、そしてなんと言うだろう?

 坂田さん、さようなら。ありがとうございました。