台南400年記念を彩った歴史的邂逅

AI要約

オランダ統治時代に築城された古跡「赤嵌楼」の敷地にひっそりと建つ石像群。台南市が開府400年の節目を迎え、オランダ最後の行政長官の末裔と明の遺臣の末裔が対面。

オランダ東インド会社が38年間にわたって台南を支配し、安平古堡などの要塞を建設。中継交易を通じて莫大な富を得るも、1661年に鄭成功軍に敗れる。

敗者なくして勝者なし。両者の末裔が石像の前で固い握手を交わし、笑顔で対面。オランダ行政長官は辛酸な人生を送り、アムステルダムで亡くなる。

台南400年記念を彩った歴史的邂逅

平野 久美子

台南の観光名所の1つ、オランダ統治時代に築城された古跡「赤嵌楼」の敷地にひっそりと建つ石像群がある。最後のオランダ行政長官が、1661年に勝者の鄭成功に頭を下げて降伏する姿を表したものだ。台南市が開府400年の節目を迎えた今年、両者の末裔が遙かな時空を超えて対面。子孫の招聘を粘り強く続けた台南市民の努力の結果でもあった。

2024年4月27日、スウェーデンのストックホルムから台南に駆け付けたのは、1624年から台湾を統治したオランダ東インド会社最後の行政長官フレデリック・コイエット(1620~1687年)の、14代目末裔(まつえい)に当たるマイケル・コイエットさんと妻のリンダさん、そして子息エイドリアンさん。彼らを出迎えたのは、オランダ軍を駆逐して台湾の支配者となった明の遺臣である鄭成功(1624~1662年)から10代目の鄭達娟さん、鄭達仁さん、鄭達智さんらきょうだい(彼らは鄭成功の6番目の息子鄭寛の血筋)だった。

「ようやくお目にかかれましたね」とでも言うように、勝者も敗者もなく固い握手を交わした末裔らは、「赤嵌楼」(プロビンシア城)の脇に建つ石像とは打って変わり、和やかな笑顔を浮かべて見つめ合った。

オランダ東インド会社は38年間にわたって、台南(当時の地名はタイオワン)一帯に要塞(ようさい)を築き実効支配をした。現在も安平区に残る「安平古堡」(ゼーランディア城)は、台南市内に建つ赤嵌楼と並びオランダ時代を象徴する建造物だ。

オランダ東インド会社は、日本産の銀や銅、中国産の生糸や陶磁器、インドの綿織物、東南アジアからの香料を中心に中継交易を行い、莫大(ばくだい)な富を本国にもたらした。だが1661年に明の遺臣の鄭成功軍が台湾に侵攻。両軍は約1年にわたって熾烈(しれつ)な攻防戦を展開したが、オランダ軍は1662年2月に投降した。

行政長官のコイエットは辛うじて命は助けられたものの、バタビア(現在のインドネシア・ジャカルタ)に追放された。敗戦の責任を取らされて長きにわたって孤島に幽閉された上、オランダに送還されてからも禁足令を受け、アムステルダムで67歳の生涯を閉じた。