大江の像を大胆に塗り替え、戦後日本の内実を見つめ直す―井上 隆史『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』橋爪 大三郎による書評

AI要約

大江健三郎の研究家が、大江の怪物性に驚きながらも、その本質を探る。

大江の内面に潜む天皇主義者の本性と、民主主義、平和主義の仮面を被る彼の葛藤に焦点を当てる。

著者は大江の作品を通じて、戦後日本の内実を読み解き、新たな文学の可能性を提案する。

大江の像を大胆に塗り替え、戦後日本の内実を見つめ直す―井上 隆史『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』橋爪 大三郎による書評

著者は三島由紀夫の研究家。大江健三郎を避けてきた。最近読み始めその怪物性に驚く。≪本書で私が提示した大江像は、民主主義者、平和主義者として一般に共有されている大江像とは大きく異なる≫のだ。

どこが怪物か。大江は皇国教育を受けた後、フランス文学にかぶれて小説家になった。翻訳文体で見かけは近代的だが、裏に天皇主義者の本性を隠している。三島はそれを見抜き、自決した。大江には宿題が残された。「本当ノ事」を書いて民主主義、平和主義の仮面を被った自分の正体を暴き、自分を罰するのだ。

ならば私小説にならないか。その歯止めに大江は全体小説を目指す。山口昌男流の人類学の図式を借りた神話世界を展開する。三島の端正で鋭利な文体とも、村上春樹の簡素で透明な文体とも違った、誠実で不器用な文体の『水死』は、著者によれば『万延元年のフットボール』と並ぶ傑作だ。本書はついに≪大江の内側から大江を読≫む域に達する。

本書はこうして大江の像を大胆に塗り替え、戦後日本の内実を見つめ直す。作品に新たな生命を与え、文学の可能性を拡げてくれている。まさに批評のお手本のようである。

[書き手] 橋爪 大三郎

社会学者。

1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、1989年より東工大に勤務。現在、東京工業大学名誉教授。

著書に『仏教の言説戦略』(勁草書房)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)、『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『社会の不思議』(朝日出版社)など多数。近著に『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房)、『はじめての言語ゲーム』(講談社)がある。

[書籍情報]『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』

著者:井上 隆史 / 出版社:光文社 / 発売日:2024年02月15日 / ISBN:4334102239

毎日新聞 2024年3月9日掲載