貯蓄、投資そしてお金との付き合い方を考えてみた。文筆家・川島如恵留(Travis Japan)

AI要約

川島如恵留がお金について考える。

子供時代から大人になるまでお金を掛けてもらったことへの感謝。

親の支えについて振り返る。

貯蓄、投資そしてお金との付き合い方を考えてみた。文筆家・川島如恵留(Travis Japan)

アーティストそして俳優として、活躍のフィールドを広げ続けている川島如恵留(Travis Japan)の連載『のえるの心にルビをふる』。半年後に30歳を迎える彼が、今だからわかったこと、気付いたこと、そして様々な出来事についての自らの考察をつづります。【vol.2≪お金の問題≫】

もし今、貴方の中に貯まったお金を、取り出せるって言ったらどうします?

今まで掛けてきたお金を、自身の経験値と引き換えに、今の貴方から引き出せるとしたら、引き出しますか?

29年と7ヵ月の間、私にはとても多くのお金が掛かっただろう。1年でざっくり150万円掛かる計算でも4500万円だ。5000万~6000万円は掛かったと思う。贅沢な話だ。

親族に掛けて貰ったお金。

自分自身が掛けてきたお金。

他にも色んなところでお金を掛けて貰った。

貴方は自身が今日まで生きてきたその過程で、ここまで生きてくるのに総額幾ら掛かったと思うだろうか?

その予想金額は実際と比較して低いだろうか? それとも高いのだろうか?

この世に誕生する時にもお金は必要だ。毎日をただ生きていく為にもお金は必要だ。明日を安心して生きる為にもお金は必要だ。特に我々のような社会人はお金の重要性に気付かずにはいられない。

毎日幾ら有れば足りるのだろう。

毎月幾ら有れば足りるのだろう。

毎年幾ら有れば足りるのだろう。

この先の未来で我々は幾ら必要なのだろう。

多少カッコよく見えるフィルターをかけて、突然の自分語りをさせて欲しい。

私はとても愛されて育った。お金を掛けて貰えていなかったとしても、十分過ぎる程の愛を感じて育ったと胸を張って言おうと思う。

その上で、お金も掛けてもらったのだから、感謝してもしきれない。

習い事は沢山やらせてくれた。幼稚園が終わった後の英会話教室が初めての習い事だったと記憶している。フラッシュ暗算の様なカードも沢山買ってくれた。知育玩具も沢山あった。アップライトピアノも家にあった。お習字もやらせてくれた。ダンスも習わせてくれた。子役もやらせてくれた。芸能事務所のレッスンは取れるだけ枠を取った。リズム感が無かったからドラムも習わせてくれた。

幼いうちに芸能を経験させてくれたのは、人生の経験としてとても大きな事だった。それだけでも十分だったのだが、好きなだけ続けていけるように、そして、いつやめても良いようにと、両親は私に勉強の道は必ず残すようにと口酸っぱく言った。そしてただ言うだけで無く、その為の環境を用意し、自分勝手に逃げ出さないように私をそこに置いて見守った。

水曜日と土曜日に教室に行き、家庭では1教科につき1日5枚プリントを解くタイプの塾に通わせてくれた。ダンスレッスンが土曜日にあったから、教室に通えるのは毎週水曜日の放課後だけだった。1教科あたり、教室では5枚、他6曜日もそれぞれ5枚の計35枚を1週間で進めれば規定量である塾だ。200枚終わると1学年分を修了出来るシステムとなっていて、大体の生徒がそれを2周すると試験を受けられる様になり、その試験に合格すると次の学年のプリントを解き始めるという形式の教室だった。

私の母は、私にそのプリントを1日に最低数十枚はやる事を義務付けた。それが我が家では当たり前だった。小学1年生で始め、3年間で11学年分終わらせた。その結果、小学3年生の時には高校2年生の数学が修了していた。

従順にその教えに沿っていた訳では無い。ハッキリとは覚えていないが、嫌々やっていた時期もあったと思う。でもやるのが当たり前だったからやっていた。そのお陰で学校の勉強では、特に数学では行き詰まる事が無く生きてこられた。

小学生で子役をやっていた事が原因となって、小学5年生の時にイジメにあった。虐めに遭ったと表記した方が良いかもしれない。それがきっかけで、両親に「みんなとは違う学校に行きたい」と相談したところ、中学受験を勧められた。周囲が3年間掛けて勉強する範囲をたった1年でやらなければいけないのだから、無理はしていたと思う。それでも、数学だけは誰よりも出来る自信が有ったから、挑戦したいと思った。

自分の頑張りも勿論有ったと言いたいけれど、その頑張り以上に両親は頑張ってくれていたと思う。

大人になった今だから分かる。

30歳になる今の自分ですら自分のことで精一杯のなのだ。もしここに自分の子がいて、その子の思う事を実現してあげられるかどうかと問われると、自信をもって「勿論」とは言えないかもしれない。繰り返すが、まだ自分の事で手一杯なのだ。

それは仕事の事や生きる事に対しても勿論だが、お金の事に関しての事がとても大きい。