案外知らない、ADHDの子に生じてしまう「二次的問題」や「後遺症」…「ADHDの子」と接するときの「バカにならない工夫」

AI要約

 I君は幼稚園から小学校、中学校、高校と成長を遂げる中で、多動症状による問題行動や学業への影響を抱えていたが、リタリンの服用と支援を受けながら成長し、良い学習環境を築いていった。

 リタリンの効果を厳密に判定しながら、薬の使用量や服用タイミングを調整し、学業や日常生活において安定した支援を提供した。

 I君は自らの特性や課題を理解し、メモを取ることや冷静な判断を心がけることで、自己管理に努める姿勢を示し、大学入学を機に治療を終了したが、依然として挫折しやすい側面を持ち続けている。しかし、明るく心優しい成長した好青年である。

案外知らない、ADHDの子に生じてしまう「二次的問題」や「後遺症」…「ADHDの子」と接するときの「バカにならない工夫」

 言葉が幼い、落ち着きがない、情緒が不安定。

 育ちの遅れが見られる子に、どのように治療や養護を進めるか。

 講談社現代新書のロングセラー『発達障害の子どもたち』では、長年にわたって子どもと向き合ってきた第一人者がやさしく教え、発達障害にまつわる誤解と偏見を解いています。 

 本記事では〈言うことを聞かない、故意に人を苛立たせる…一教室に4~5人は存在する「ADHD」は「発達障害」なのか? 〉にひきつづき、ADHDの人への特徴や、対応のコツ​などをくわしくみていきます。

 ※本記事は杉山登志郎『発達障害の子どもたち』から抜粋・編集したものです。

 さて、典型的な児童のスケッチを紹介する。

 I君は元気な男の子である。最初に筆者が相談を受けたのは5歳、幼稚園の年長になったときで、集団行動があまりにできないので、専門家に相談に行くようにと園長先生から勧められ、お母さんがしぶしぶ受診させたのが始まりである。

 実は園長先生からは1年前から受診を勧められていたのであるが、お母さんは家ではあまり問題がないから、園の接し方の問題ではないかと抵抗を続け、受診した当時には幼稚園と家族とのいくらか感情的な対立にまでなっていた。4月になると、I君に勝るとも劣らぬ多動な新入生が入ってきて、二人への対応で担任教諭が悲鳴を上げ、そうこうするうちに遠足で二人が連れ立って行方不明になるという大事件が起きるに及んで、お母さんは重い腰を上げ専門家への受診となったのであった。

 会ってみると確かにI君は年齢を勘案しても多動が目立ち、またイスの上でもきょろきょろと落ち着かず、弟につられて診察室の外へ走り出すなど、多動、不注意、衝動性の症状を満たしていた。知能検査では全IQ101と正常知能であったが、ばらつきが著しかった。家族画を描かせたところ、角が生え牙のある鬼のような母親の絵を描き、母親にショックを与えた。多動にもとづくトラブルを繰り返してしまうI君に対して、無理のないことではあるが、母親は叱りがちになっているという。

 I君は0歳からカンが強いいわゆるそだてにくい子であったが、一方で非常に過敏でおびえやすいところもあり、小さな地震におびえて何日も眠れなくなったりしたこともあった。興味のあるところに突進してしまう行動は3歳ごろから目立っていたが、しかしとても優しいところがあって、お母さんが頭痛で不調であったりすると、「効いたよね早めの〇〇」などとコマーシャルを歌いながら、勝手に薬箱から頭痛薬を取り出して用意してくれるのは良いのだが、薬箱を開けて放置したままにしてしまうわ、薬箱の中から頭痛薬を取り出すために箱を漁り、全部入れ直さなくてはならないほどごちゃごちゃにしてしまうわで、逆にまた叱られてしまうのである。

 筆者は不注意と多動にもとづく軽い発達の問題であることを母親に説明し、まずは「一度叱ったら一度褒める。特にトラブルを起こさなかったことを褒める」と、叱りっぱなしにしないことを強調した。

 幼稚園では全体の声かけのみではI君の注意を引くのに不十分なので、I君に対して必ず個別に声かけをしてもらうことをお願いし、また「トラブルがなかったこと」を事細かに園でも褒めてもらうように依頼した。日常生活では夜更かしになりがちとのことなので、早寝早起きが可能な生活に切り替えてもらった。

 これだけの指導で、I君の幼稚園でのトラブルは激減した。二学期のはじめ、運動会の練習という苦手な場面があるので、これを利用して薬物の判定を行った。ADHDの8割は薬物療法がそれなりに有効である。特にもっとも使われてきたのは中枢神経刺激薬という種類の薬物リタリン(薬剤名はメチルフェニデート)である。この薬は覚醒剤に近い系統の薬であるので効果判定を厳密に行うことが必要で、またできるだけ期間を限って用いることが好ましい。

 したがって幼稚園レベルではよほど問題行動が頻発していないかぎり処方せず、学校入学後に使用するようにしているのであるが、学校でのトラブルを最低限にしたいということと、できるだけ短期間の服用にしたいということを両立させるため、I君のような入学前から相談を受けたADHDに関しては、年長組の秋から冬に多動軽減に有効な薬の効果判定を行っておいて、入学に備えるようにしている。幼稚園の教諭の判定で、I君の多動にリタリンは有効であることが明らかとなった。

 受診後I君は大きなトラブルなく幼稚園を卒園し、無事に就学時健診も済ませ、通常クラスに入学した。I君自身も緊張していたせいか、一学期は大きなトラブルなく過ぎた。

 ところが二学期になると、一挙にさまざまな問題が噴き出すようになった。どうやら夏休みに生活が乱れたまま二学期が始まり、眠気もあって授業に集中ができなくなり、またちょうど運動会の練習も始まって、暑さと疲れでいらいらすることが続いたようだ。

 友人との喧嘩や、先生から叱られてすねて教室を飛び出すといったトラブルが何度か生じた。ノートを見ると、一学期は時間をかけながらもなんとか読める字で記入していたのであるが、大きく枠をはみ出すようになり、I君自身にも読めないぐちゃぐちゃの字になっていた。この時点でリタリンの使用を開始した。

 薬は速やかに効き、I君は落ち着きを取り戻した。そわそわすることは続いているものの、教師から叱責を受けるような問題行動は激減した。I君によると、リタリンを服用すると先生の声がはっきり聞こえるのであるという。それだけではなく、リタリンを服用していると黒板の字がはっきり見えるとも述べていた。

 その後、継続的にリタリンを用いたが、週末は必ず休薬し、また長期休暇の間も薬の服用をやめ、新学期になった時点で再度、薬の効果に関する判定を行った。I君は小学校中学年のカリキュラムの壁も問題なく越えることができた。小学校4年生ごろになるとずいぶん落ち着きが増した。

 外来では、入室するなりおもちゃに飛んでいくことはなくなり、筆者の問いに丁寧語を用いて答えるようになり、ぐにゃっとした姿勢で座ることはなくなった。また友人も増え、いつも一緒にいる親友ができたという。小学校5年になると、極端な不器用についても著しい改善が認められ、字もずいぶん読めるようになってきた。この時点でリタリンは、テストのときや行事のときにのみ頓服で用いるように変えた。小学校高学年になると、多動や不注意に足を引っ張られていた学業成績が徐々に上がってきた。

 I君のリタリン服用は中学入学を機会に完全にやめ、外来通院もその後は年に数回の報告だけとなった。高校生まで筆者の外来に顔を見せていたが、大学入学を機会に治療終結とした。心の優しいそして笑顔の明るい好青年に成長していたが、今でもいわゆるケアレスミスは少なくないという。

 I君はまた何かうまくいかないことがあると非常に落ち込みやすいところがあって、挫折をしやすいとは母親の言葉である。しかし本人自身も自らの欠点はよく知っており、大事なことはメモを取ることを心がけ、また、すぐに判断してしまわずに、大事なことは必ず一晩寝てから決めるとのことである。