躁鬱病に苦しんでいた若き日本人哲学者が、ある日突然「人類愛教」の教祖になり、崩壊し、そこから始めたこと

AI要約

20年の構想と2年半の執筆期間を経て、哲学者の苫野一徳さんが『愛』という本を生み出した。本作は苫野さんが躁鬱病に苦しんでいた経験を元に、愛の本質を解明する内容となっている。

苫野さんは20年前に「人類愛」の啓示を受け、人類が互いに愛し合って調和的に結びついているというイメージを得る。この体験が『愛』の執筆へとつながり、彼は「人類愛教」の「教祖」として活動することになる。

しかし、「人類愛教」は後に崩壊し、苫野さん自身も壊れる経験を経て、哲学による再生を果たす。彼の人生における転機と啓示について、詳細に綴られている。

躁鬱病に苦しんでいた若き日本人哲学者が、ある日突然「人類愛教」の教祖になり、崩壊し、そこから始めたこと

 哲学者の苫野一徳さんの著作『愛』は、20年の構想と、2年半の執筆期間を経て生まれた、「愛」の本質を解明する一冊です。

 じつは、この本は苫野さんが長く躁鬱病に苦しんでいたことがきっかけで生まれました。

 本作を書くに至った経緯について、刊行当時(2019年)に苫野さんが綴った文章を公開します。(前編)

 講談社現代新書から上梓した拙著『愛』は、構想20年、執筆に2年半をかけた、わたしにとっておそらく最も大切な哲学作品となるものだ。

 「愛」の探究へとわたしを駆り立てることになったそもそもの動機は、20年近く前、長い躁鬱病に苦しんでいた頃に、突如として「人類愛」の啓示に打たれたことにある。

 すべての人類が、互いに溶け合い、結ぼれ合った姿が、その時のわたしには、ありありと、手で触れられそうなほどの確かさを持って見えた。そのイメージは、わたしには「愛」と呼ぶほか言葉の見つからないものだった。

 この「人類愛」を、やがてわたしは次のように言い表すようになる。「今存在しているすべての人、かつて存在したすべての人、そしてまた、これから存在するすべての人、そのだれ一人欠けても、自分は決して存在し得ないのだということを、絶対的に知ること」。

 人類は、互いに完全に調和的に結ぼれ合っている。それゆえ人類は、そもそもにおいて、本来絶対的に愛し合っているのだ。

 それはわたしが人生で味わった最も強烈な啓示であり、恍惚だった。わたしは世界の「真理」を知ったと思った。「人類愛」の真理を、わたしはこの目で見たのだった。

 その後、わたしは「人類愛教」の「教祖」になった。なぜ、そしてどのようにしてそのような「宗教」ができ上がり、決して多くはないものの「信者」が集うようになったかという話は、かつて『子どもの頃から哲学者』という本に書いた。その後に続いた、「人類愛教」の崩壊と、わたし自身の壊れ、そして哲学による再生についても。