蛭子能収さんをショートステイに…決断した家族の葛藤・気持ちの変化

AI要約

介護保険サービスを利用しながら仕事を続ける蛭子能収さんと悠加さん。夫婦の関係が認知症を通じて変化し、お互いに感謝の気持ちを持つようになった。

蛭子さんは自由に過ごす中で「一番大事なのはお金」と冗談を飛ばし、悠加さんも笑顔で応じる。二人の日々はこれからも続く。

次回は親や家族が認知症になったときに役立つ「もしも」について掘り下げる。

蛭子能収さんをショートステイに…決断した家族の葛藤・気持ちの変化

認知症を公表した漫画家・タレントの蛭子能収さんと、妻の悠加さん。介護保険サービスを利用しながら仕事を続けることになりました。夫婦の関係も以前とは変わったそうです。現在とこれからについてお話を聞きました。

※インタビューは2022年11月に行いました。

認知症を公表したことを機に、蛭子能収(えびす・よしかず)さんは介護保険サービスを利用するようになりました。とはいえ、悠加(ゆか)さんに葛藤がなかったわけではありません。

「最初に1か月のショートステイに主人を預けることを提案されたのです。正直私は1、2日休めればそれでいい、という気持ちだったので、1か月も主人を預けることに抵抗感がありました。

ですがケアマネジャーさんから『あなたが倒れればみんな立ち回らなくなる。奥さんの健康を回復させることが優先です』と言われ、サービスを利用することは見放すことではなく、介護する側・される側の双方が気持ちよく過ごすためなのだと知りました」と悠加さん。

今はケアマネジャーさんと相談しながら介護サービスを利用し、比較的落ち着いた日々だと言います。

認知症を通じて夫婦の関係も変わったそうです。蛭子さんはギャンブル熱が落ち着き、悠加さんに今まで言ったことのなかった「ありがとう」という言葉を口にするように。

悠加さんも「私も以前はすねていた部分があったのだと思います。認知症を通じて、夫婦で素直に向き合えるようになりました」と話します。

そんな悠加さんの話に触発されたのか、蛭子さんは取材中、「オレはこれからも自由に、そして女房とずっと一緒に家にいたい」と語り、そして「自分にとって一番大切なのは」と話し出しました。

悠加さんへの想いの言葉が出るのでは、と一同が固唾(かたず)をのんで見守る中、蛭子さんは「一番大事なのは、やっぱりお金ですね」と言い、にやり。これには悠加さんも笑ってしまいました。蛭子さんと悠加さんの日々はこれからも続きます。

次回は、親や家族が認知症になったときに備えて知っておきたい4つの「もしも」についてにお伝えします。

蛭子能収さん

1947(昭和22)年生まれ、長崎県出身。高校卒業後、看板店、ちり紙交換などの職業を経て33歳のときに漫画家に。タレント、俳優、エッセイストとしても活躍。近著に『おぼえていても、いなくても』(毎日新聞出版刊)

悠加さん

蛭子能収さんの妻。週刊誌「女性自身」のお見合い企画をきっかけに3年半ほどの交際を経て2007年1月に結婚。趣味はお寺や神社を参拝すること。蛭子さんのケアをしながらともに自宅で暮らしている。

取材・文=大矢詠美

※この記事は、雑誌「ハルメク」2023年1月号を再編集しています