幸せを前借りしたから、最期まで一緒に。『猫の挽歌集』から大切なペットの看取りを考える

AI要約

『CREA』6月7日発売号は猫特集で、猫と人との関係に焦点を当てた企画を展開している。

猫歌人の仁尾智さんが短歌で猫の挽歌集『また猫と 猫の挽歌集』を発表し、看取りの瞬間について語っている。

挽歌の制作に苦悩し、怖れを感じながらも、猫の死生観を描く決意をした仁尾智さんによる作品。

幸せを前借りしたから、最期まで一緒に。『猫の挽歌集』から大切なペットの看取りを考える

 6月7日発売の『CREA』は猫特集。1998年に日本の女性誌ではじめて特集して以来、実に12年ぶりとなる今回は、猫と人との幸せな関係に迫る企画をたっぷりとお届けしています。

 そんな本誌の猫特集にご登場いただいた猫歌人の仁尾智さんが5月に発表したのが、『また猫と 猫の挽歌集』(雷鳥社)。これまで猫にまつわる短歌を詠んできた仁尾さんによる猫の挽歌集です。

 挽歌――それは、死をいたむ詩歌。

 なぜ仁尾さんは猫の最期を詠むのでしょうか。たくさんの猫を愛し、見送ってきた仁尾さんの「看取り」への思いを伺いました。

わかるなよ あなたにわかるかなしみはあなたのものでぼくのではない

(『また猫と 猫の挽歌集』より)

――まずは、『また猫と 猫の挽歌集』を出版することになったきっかけと経緯を教えてください。なぜ、挽歌を詠もうと思ったのですか? 

 短歌を詠み始めてから20年ほど。これまで猫を保護したり、預かったり、里親さんを探したりとたくさんの猫と関わってきましたが、意図的に挽歌を詠もうと思ったことはないんです。そもそも短歌は心が動くときにできるものなので、看取りのときは必然的に短歌が多く生まれます。だから挽歌を作りたいというより、何かしらの形にしないと先に進めないという感じですね。

 しかもそういうときに生まれる短歌は、嘘や過剰な作為がないので体重が乗った作品が多い。ただ、発表の場がなかなかなかったので、行き場のない看取りの短歌がすごく溜まっていたんです。それで数年前、SNSで「猫の看取りの短歌だけを集めた挽歌集を作ったらどうだろうか?」とつぶやいてみたら反応が少しあって。だけど、すごく読者が限定される気がしました。商業出版しても売れそうじゃないし、いずれ自費で制作することになるのかなと思っていました。

 そんなときに日頃から懇意にさせていただいている東京・三軒茶屋の猫本専門店「キャッツミャウブックス」の店主・安村さんにお声がけいただいたんです。その後、紆余曲折ありましたが、企画編集は安村さん、出版元は雷鳥社さんにご尽力いただき、猫の挽歌集の出版に至りました。

 そんな経緯もあって、キャッツミャウブックスさん限定で濃紺のスリーブに入った『また猫と 猫の挽歌集』(特装版)が販売されたりしています。

――出版が決まった際、挽歌という命を題材にすることに苦しさを感じることもあったそうですね。

 出版した今でも、これが正しかったかはわからないです。「猫の死を題材に本を出すこと」への畏れというか、不遜な行為なのでは、という葛藤はすごくあります。「死生観」みたいなプライベートな部分に踏み込む怖さもあって、いまだに全然割り切れてなくて……。今も正直、怖いです。

 それから、ちょうどこの本を作っている最中に我が家の猫の扁平上皮癌が発覚して、結局看取ることになって、もう増えなくてもいいのに、リアルタイムで挽歌が増えていった。それもあって気持ちが結構揺れました。

――それでも挽歌集を届ける決意ができたのはなぜですか? 

 猫との日常や猫を飼い始める入口は、それぞれ既刊本で残せたので、あと自分が現世でやるべき最後の仕事は「看取り」だけだよな……と、三部作の完結編みたいな気持ちで作りました。挽歌を読んでくれた人、例えばペットの看取りを体験した心優しい人がまた猫を飼いたいと思ってくれるかもしれない。そういう循環が生まれたら、結果として猫の命を救うことになるかもと思えたことが大きいですね。