追悼 ウェルナー・ヒンク氏 伝統引き継いだ黄金の輝き、彼こそウィーン・フィルの音

AI要約

ウィーンのバイオリニスト、ウェルナー・ヒンク氏が亡くなった。彼はウィーン・フィルのコンサートマスターを務めるなど、ウィーン音楽の伝統を引き継ぐ重要人物であり、日本との縁も深かった。

ヒンク氏はウィーン・フィルの第1バイオリンに師事された和樹・ヘーデンボルク氏にとって重要な存在であり、教育活動や日本での演奏活動も積極的に行っていた。

ヒンク氏の音楽はウィーン・フィルの音を体現し、幻想的で心に響く〝ウェルナー・サウンド〟を持っていた。彼の死去により、その輝きを守り続ける責任を弟子たちは感じている。

「現代では少ないウィーンの伝統を本当に引き継いでいたバイオリニストでした。きれいな人間性のある音でした。ウィーンの音楽を知り尽くしたウィーン気質の音楽家でした」

「ウィーン・フィルの音を体現した」と言われたウェルナー・ヒンク氏と長い付き合いがあった、ウィーン国際文化協会第1副会長で声楽家の岡部武彦氏は、こう話した。

ヒンク氏は1943年、ウィーン生まれ。64年にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団。歌劇場管弦楽団から選ばれたメンバーで構成された世界最高峰のオーケストラ、ウィーン・フィルに入り、74年、要となるコンサートマスターに就任、2008年まで務めた。

ウィーン・フィルの第1バイオリン、和樹・ヘーデンボルク氏は、ウィーン市立音楽大で教授を務めていたヒンク氏に師事した。

ヘーデンボルク氏は「ヒンク氏は私の義理の叔父にあたります。子供の頃から会っていますが、みやびな人柄でした。96年頃から集中的に指導を受けるようになり、ザルツブルク音楽大を卒業した後、昔から尊敬していたヒンク氏が教えるウィーン市立音楽大に入学しました。師匠から先輩、同僚となり、リハーサルと本番が重なる毎日を共に過ごすことができました。ヒンク氏はコンサートマスターの前に第1バイオリンのメンバー、首席奏者を務め、室内楽やソリストとしても活動した経験豊かな演奏家でした。ウィーン・フィルにとって貴重な存在でした」と話す。

ヒンク氏は親日家で、日本との縁が深い。札幌を中心に行われている音楽祭、PMFや草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルで長年講師を務めた。またウィーン国際文化協会が開催するコンサートでコンサートマスターを務めた。

岡部氏は「学校の体育館などどんな場所でも嫌がらずに来ていただきました。音楽の話になると話が終わりませんでした」と話す。

平成30年9月、東京・紀尾井ホールでリサイタルを開き、シューベルトやベートーベンなどを演奏した。ヒンク氏と草津夏期国際音楽アカデミーで共演したこともある上皇后さまも臨席されたこの演奏会が、生涯最後のリサイタルになった。

ヘーデンボルク氏はバッハ、モーツァルト、シューベルトの幻想曲などが印象に残っているという。「これがウィーン・フィルの音だねという私たちの伝統を表現してくださった巨匠です。ホール空間の次元を超えて心を満たす、黄金の輝きを持つ〝ウェルナー・サウンド〟。一生忘れずにこの輝きをウィーン・フィルとして持続していくことが、われわれの責任と感じています」と話した。(江原和雄)

◇ヒンク氏は5月21日死去、81歳。