「1万分の1の確率で母がドナー適合者だった」吉井怜 骨髄移植で血液型も変わって

AI要約
白血病との闘いに向き合う吉井怜さんの治療経過について初めての抗がん剤治療、白血病の告知、入院期間の長さについて治療中の体験や心境の変化、仕事への復帰への願望について
「1万分の1の確率で母がドナー適合者だった」吉井怜 骨髄移植で血液型も変わって

骨髄移植は難しいとされるなか、ドナー適合者さえ見つかり、手術をすれば快方に向かっていく。タレントの吉井怜さんは幸い母が適合者でしたが、手術後にはとてつもない苦痛が待っていたといいます。(全3回中の2回)

■白血病の告知「最初は病気と向き合えなかった」

── 当初は白血病とは知らされなかったということですが、告知はどの段階でされたのでしょう。

吉井さん:1回目の抗がん剤治療が終わったとき、先生から直接お話がありました。治療は抗がん剤を4回のクールにわけて投与するというもので、まず1回目の治療を行い、効果を確認し、免疫力が上がったらまた次のクールに進んでいきます。じつは1回目が大切で、そこを超えられなかったら危なかったそうです。その後、2回目の治療に入れたので、両親と医師で相談して私に告知することになったようです。

── 白血病だと知らされ、やはりショックだったのでは?

吉井さん:告知されたとき、「白血病は治る病気なんだよ」と先生が言ってくださって、それで私も「そっか、治るんだ」と思うことができました。たぶん心の奥ではすごい恐怖があったと思います。でも、あのときはずっと仕事に戻ることばかり考えていて、きちんと自分の病気と向き合っていなかった気がします。あまり知識もなかったから、そこまで深刻にならずに済んだというのもありました。いまはネットで何でもわかってしまうから、情報が少なかったのは逆によかったと思います。

入院するとき社長が「待ってるから」と声をかけてくださって、その言葉も大きかったですね。大丈夫なんだ、3か月経ったらすぐ戻れるんだと、復帰を心の支えにしていました。

── 治療は順調でしたか?

吉井さん:髪が抜けたりはしたけれど、吐くことはなくて、このときはそこまで具合が悪いということはなかったですね。先生いわく、私は比較的副作用が軽いということでした。ご飯は残さず食べていました。「いまはダイエットしなくていいんだ」という気持ちがたぶんあったのだと思います(笑)。ただ2回、3回と抗がん剤を繰り返すうちに、体力が戻るスピードが遅くなってしまって。3か月の入院と聞かされていたけれど、結局、5か月半近く入院しています。