マジシャン矢神潤さんは白血病など4回の命の危機を乗り越えた

AI要約

矢神潤さんは、急性骨髄性白血病や心筋梗塞、間質性肺炎など複数の重い病気を克服してきたマジシャンであり、4回の命の危機を経験しながらもポジティブな姿勢で生きている。

白血病や心筋梗塞、難病CIDPなど多くの健康問題に直面しながら、矢神潤さんはマジシャンとして活動し、笑顔を届ける活動を続けている。

矢神潤さんは、自らの経験を元に講演活動も行い、病気に立ち向かう姿勢や前向きな気持ちの大切さを伝えている。

マジシャン矢神潤さんは白血病など4回の命の危機を乗り越えた

【独白 愉快な“病人”たち】

 矢神潤さん(マジシャン/53歳)

  =急性骨髄性白血病ほか

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 急性骨髄性白血病を2回、心筋梗塞、間質性肺炎(一般的な肺炎も併発)、おまけに難病の「慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)」も患い、主治医には「ギリギリで生きている状態だから」と言われながらもマジシャンと講演家をしながら毎日を楽しく過ごしています。

 1度目の白血病を発症したのが2005年、35歳の時。当時勤めていた会社の健康診断で発覚しました。まったく自覚症状がなかったし、テレビでしか聞いたことがない病名だったため、初めは実感すらありませんでした。でも、医師からは1週間遅かったら間違いなく命を落としていたと言われました。

 治療はかなり過酷でした。抗がん剤の副作用に悩まされたり、うつ病になったりで、何度あきらめかけたことか。本当につらく苦しい治療でした。2人きょうだいで奇跡的に白血球の型が合った姉にドナーになってもらい、骨髄移植をしました。そして家族や仲間に支えられながら克服し仕事復帰も果たしました。

 白血病の治療でたくさんの輸血を受けました。献血に協力してくれた方々に恩返しがしたくて、趣味でやっていたマジックを人前でショーとして披露するようになりました。見てくれたお客さまの中に献血に協力してくれた人がいて、その人が笑顔になってくれたら恩返しになるのかなと思ったのです。

 白血病を克服して11年経った2016年、46歳の時、仕事もマジシャンの活動も順調で楽しく過ごしていたある日、夜中に胸の激痛で起こされました。「どうした?」と思いながらも朝までなんとか我慢して病院に行こうと思っていたら、妻に「すぐ病院に行こう」と言われ、病院へ。検査を受けたところ、「急性心筋梗塞です」と言われ、そのまま緊急手術となりました。この時も「朝まで我慢していたら間違いなく命を落としていた」と言われました。

 3時間の手術の甲斐あって命が助かり、1年半の自宅療養を経て、仕事とマジシャンの復帰を果たしました。

■時には自殺を考えたことも…

 そしてまた大病を発症することに……2018年、48歳の時、克服したはずの白血病が再発したのです。この時は首のリンパ節が腫れており、血液検査をしたところ血液データに異常があったので、ひと目見て「白血病かな?」と思い、紹介状を書いてもらって総合病院で検査を受けたら、やはり急性骨髄性白血病でした。

 1回目の白血病から13年経って再発とは……とショックは大きかったです。でも、必ず克服して元気になると誓い、病気に立ち向かうことにしました。ただ、2回目の白血病、おまけに心筋梗塞まで経験していることから治療は体にかなり負担がかかり、予期せぬことが起こるケースもあると言われていました。この時も姉にドナーになってもらい、末梢血幹細胞移植をしました。

 その後、このまま助かると思っていた矢先に足のしびれがだんだんと酷くなり、そのしびれが胸の辺りにまで広がって感覚がなくなり、立つことも歩くこともできなくなりました。そこで、いろいろと検査をした結果、難病指定されている「慢性炎症性脱髄性多発神経炎」との診断でした。神経内科の主治医からは「治療はするが、二度と歩くことはできないかも」と言われました。それでも、つらく過酷なリハビリを続けて、杖をついて歩くまでに回復。白血病再発から2年半で復帰を果たしました。

 しかし、立て続けに2021年、50歳の時に間質性肺炎と一般的な肺炎を併発し、救急車で搬送されてこれもまた命の危機にさらされることになりました。それでも助かり、今こうして4回の命の危機を乗り越えながらも生きています!

 これだけの病気に好かれ、時には自殺も考えたこともありましたが、闘病中の沈んだ気持ちを前向きにさせることによって、病気や治療と向き合うことができました。

 そのための方法は、まず気持ちが落ちそうな時は呼吸が浅くなって余裕がなくなるので、深呼吸をするクセをつける。また、「なぜ?」を追求しない。「なぜ病気になった?」や「病気になった原因は?」といった「なぜ?」ばかりを調べても、良くないことばかり書いてあって、余計に落ち込んでしまうからです。そこを調べても病気は治りません。

 あとは集中できることを見つけ、病気のことを考えないようにする。また特に大事なのは、人と話して笑うことです。笑うと免疫力が上がるといわれています。落ち込むと声を出さなくなってしまいます。なので、声を出すこと、笑うことです。さらに「病気は治って当たり前」の気持ちで治ってからのことを考えるようにしました。たとえば、僕は生モノが禁止だったので、「治ったらお寿司を吐くくらいまで食ってやる!」と思っていました(笑)。

 このように気持ちを前に向かせることによって、僕は病気を克服することができました。でも、もちろん家族や仲間にもたくさん助けていただきました。本当に感謝しています。特に妻には凄く助けられました。

 現在の活動ですが、難病は治ることはないので、うまく付き合いながらマジシャンを続けています。全国各地でマジックショーをして、皆さんに笑顔を届けています。また、最近では僕の病気の経験を基に、命の大切さや病気になった時の心の持ち方、前を向かせる方法などをお話しさせていただく講演家としても活動しています。

 マジックショーをして皆さんが笑顔になってくれると僕も元気になれます! 僕にとってマジックは最高の薬だと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽矢神潤(やがみ・じゅん) 1971年、愛知県出身。9歳でマジックに興味を持ち、独学で始める。病気がきっかけでマジシャンになることを決意し、マジックショーを行って笑顔を届けている。また講演家としても活動を広げ、2024年3月には著書「病から生き残る笑顔の魔法 大病を4回経験したあの世に嫌われたマジシャンからのメッセージ」(UTSUWA出版)を出版。Amazonで販売中。マジックショーや講演会などのご依頼はホームページ(https://www.yagamijun-magic.com/)から。