アラン・ドロン最大の特徴は“二重性”だった 日本で愛された理由を映画評論家に聞く

AI要約

俳優アラン・ドロンが88歳で亡くなった。70年〜80年代の日本における存在や、作品の二重性について振り返ると、彼の魅力が再認識される。

日本での人気やテレビCMへの出演、また二重性を持つ役柄への出演まで、ドロンのキャリアには多彩な側面がある。

アラン・ドロンの作品群を再評価し、彼の俳優としての素晴らしさを改めて感じる。彼の死を悼みながら、作品に再び注目すべきだ。

アラン・ドロン最大の特徴は“二重性”だった 日本で愛された理由を映画評論家に聞く

 俳優アラン・ドロンが88歳で逝去した。映画ファンであれば確実に、映画ファンではなくとも、その出演作を観たことがなくても、「アラン・ドロン」という名前を聞いたことがある人は多いのではないだろうか。映画史に刻まれた作品に出演しているという以上に、日本における数少ない“映画スター”として多くの人に愛されたアラン・ドロン。彼は一体、日本でどのように受け入れられてきたのだろうか。

 映画評論家の荻野洋一氏は思春期の頃の記憶を紐解きながら、70年~80年代の日本におけるドロンの存在を次のように振り返った。

「1978年の秋に日本公開されたドロン主演の犯罪映画『チェイサー』(1977年/ジョルジュ・ロートネル監督)を、中学1年の時に劇場で観たのを覚えています。『チェイサー』は映画史に残る傑作と言えるような作品ではありませんが、当時も“アラン・ドロン”の名前だけで多くの観客を集めていました。外国人俳優の名前だけで観客が映画館に足を運ぶ。今ではなかなかイメージできないと思うのですが、そんなスター俳優の中でもドロンは飛び抜けた存在でした。当時は民放各局で21時から23時のゴールデンプライム帯に外国映画をほぼ毎日テレビ放送していました。ドロンの映画もたくさん放送され、女性を中心にファンの心を掴んでいた。そして、ドロンの日本語吹き替え版を務めた野沢那智さんの声優演技が素晴らしく、野沢さんが作り上げたダンディな声質がドロンの人気をさらに後押ししていたように思います。ドロンはTVCMにも多数出演していました。紳士服ブランド『ダーバン』や、ブランデーの『レミーマルタン』などのCMに起用されていて、“カッコいい”の象徴的な存在だったんです。出演作を観たことがない方にもその魅力が伝わっている。今の時代ではなかなか考えられないですよね」

 そんな“スター俳優”でありながらも、ドロンは大作映画だけに出続けていたわけではない。代表作『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督)のような大劇場でかかるエンタメ大作や、ジャン=ピエール・メルヴィル監督のハードボイルドな犯罪映画に多数出演する一方で、『若者のすべて』『太陽はひとりぼっち』『山猫』などはいずれも現在で言うならミニシアター作品に分類されるアート作品だ。荻野氏は、「アラン・ドロンの最大の特徴は“二重性”にある」と分析する。

「ルネ・クレマン、ルキーノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジョセフ・ロージーなど、映画史に刻まれる映画作家たちの作品にもドロンは出演しています。そして、それらの作品で演じた役柄の多くで共通していたのが“なりすまし”という点。完璧な容姿をもちながら、内面に暗い野望を秘めたキャラクターを演じるのが抜群に上手かった。名匠たちがドロンを自身の作品に抜擢したのも、この“二重性”に惹かれたからだと思います。出演している作品にも、演じている役柄にも“二重性”がある。スターと呼ばれる俳優の中でも、ここまでの二重性を持った人はなかなかいないのではないでしょうか」

 荻野氏がドロンの出演作の中で最高傑作の一本としてあげたのが、ルキーノ・ヴィスコンティ監督『若者のすべて』(1960年)だ。

「『若者のすべて』でドロンの演じた、田舎から出てきたロッコ少年は、ボクサーとして成功しながら、家庭の悲劇に見舞われます。ドロン自身の恵まれない少年期や戦争体験が、この役柄に深みを与えているように感じます。ドロン自身も、『なぜ悲劇的な役が多いかって? 悲しい幼年期を送り、17歳で(インドシナ)戦争に行き、人生の悲劇を若くして体験したことで、映画に呼ばれた時、それが私の身体を通してそこに映り込んでいったのだと思う』とインタビューで語っているように(※)、華麗さの奥にある影が、今も多くの観客を魅了している理由のひとつなのだと思います」

 1980年代に入ると、ドロンの商業的な影響力は徐々に衰えていった。しかし、1990年にジャン=リュック・ゴダール監督が『ヌーヴェルヴァーグ』でドロンを主演に起用したことは、大きな話題を呼んだ。

「この起用は、ドロンの二重性をゴダールが巧みに活用した試みだったと思います」と荻野氏は分析する。

「ゴダールは当時、有名スターを起用して、ある種のギャップを生み出す実験的な挑戦を続けていました。ドロンの起用もその一環だったように思いますが、同時にドロンのスター性と演技力、そして『太陽がいっぱい』や『地下室のメロディー』などの代表作で体現してきた“なりすまし”というドロンの二重性を深く理解した上での選択だったのだと思います」

 アラン・ドロンは、エンターテインメントとアートの両面で輝いた稀有な俳優だった。現代の視点から彼の作品群を再評価することで、新たな魅力を発見できるはずだ。アラン・ドロンの死を悼むとともに、彼の出演作に、もう一度目を向けてみてはいかがだろうか。

参照

※ https://x.com/ElleaWatson/status/1448159663795564547