「CGがあふれる現代でも、生身のアクションを残していきたい。若い人たちはどんどん海外に飛び出してほしい」アクション俳優・倉田保昭の思い

AI要約

倉田保昭は香港でのアクション映画の製作過程や体験について語る。アクション撮影はリハーサルなしのフリーファイトであり、スタントシーンも高い所や危険な場面で実際に行われた。

倉田は映画『帰って来たドラゴン』でのアクションシーンについて語り、回想する。特に、3階建ての建物を開脚して登るシーンやクライマックスの対決シーンの撮影過程などが語られる。

倉田は現在の映画界でのCG技術の進歩について言及し、生身のアクションの重要性を強調。日本に本物のアクションスターがいない現状や、若い俳優たちに海外での経験を積むことを勧める。

「CGがあふれる現代でも、生身のアクションを残していきたい。若い人たちはどんどん海外に飛び出してほしい」アクション俳優・倉田保昭の思い

 1971年に香港に渡り、海外デビューを果たしたアクション俳優の倉田保昭。1974年に日本凱旋した映画『帰って来たドラゴン』がこのたびリバイバル上映される。彼の心の原点となる「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

 当時、香港では、脚本は俳優に渡されず、その日撮影するシーンが書かれた紙が当日配られるだけでした。とりわけ、この映画ではアクションも、テスト、リハーサルといったものは、ありませんでした。ぶっつけ本番、フリーファイト。アクションの流れは、主演のブルース・リャンなど敵役の俳優と口約束で決めていくのがほとんど。アドリブでした。

 スタントシーンでも、今は高所の場合、ワイヤーをつけたり、モノを壊すときには割れやすい素材の偽物を使ったりしますけど、この頃はそんなもの何もなかった。生身で実際にやるしかありませんでした。

 この映画で、僕が一番の見せ場だと思っているのが、隣接する3階建てほどの建物の壁を開脚して少しずつジャンプしながら登り、向かい合って戦うシーンです。

 ロケ地に行ったら、たまたま狭い路地があって、「こんなアクションは、ブルース・リーもやってないよね」とウー・シーユエン監督と相手のブルース・リャンと相談してやることにしたんですが、実際やってみるとけっこう高い。本番中は下にマットなど敷きませんし、少しでも膝を曲げたり、足をすべらせたりしたら落ちてしまう危険な撮影でした。

 クライマックスの約10分間の対決シーン撮影は1か月半ぐらいかかりました。中でも僕が蹴りを受けて後ろに吹き飛ぶシーンは、10回ぐらいやったんです。そうしたら、撮影後1か月間くらいずっと頭痛と吐き気に襲われたんです。むち打ち症になっていたんですね。そんなことになったのは、この映画だけですよ。

 今の映画界においてはアクションもどんどんCGで見せる傾向がありますよね。いつか俳優なんていらない時代が来るかもしれません。

 私個人はやはりそういったものには反対で、古臭いかもしれないけど、生身のアクションを残していきたい。そうすると、おのずとその俳優の存在も残っていくでしょ。そのためには、裸になったときにインパクトがないと説得力がないとダメだと思う。昔、僕が出たドラマ『Gメン’75』(TBS系、75~82年、倉田のレギュラーは75~79年)の香港編で悪役を演った香港の俳優、ヤン・スエは体もデカくマッチョ。誰もが怖がる風貌だったけど、ああいうインパクトって必要だと思うんです。

 残念ながら今の日本に生身で見せる、本当の意味のアクション・スターと呼べる存在はいない。だから、若い人たちはどんどん海外に飛び出して、日本ではできない経験をして自分を磨いてほしいですね。どんな体験でも必ず将来役に立ちます。そして、毅然とスッと立ってほしい。

 今も健康で、こういう体に生んでくれた親には感謝しかないですよね。僕の父は武道家でしたが、父の教えで一番印象に残っているのは「倒れた人間は立ち上がるまで待て」ということ。倒れている相手は攻めない。つまりはフェアであれということ。それは言い換えれば「自分に自信を持て」ということでもあります。

 こんな僕も、いつの間にか70代後半を迎えています。夢は、健康で動ける体をいつまでも維持すること。1週間体を動かさなかったら、怖い。毎日トレーニングをしています。脂っこいものや甘いものを控えるなど、食事にも気を使うようになりました。そもそも酒もタバコもやらないんです。面白くない男ですよね。

倉田保昭(くらた・やすあき)

1946年3月21日、茨城県出身。T172cm。日本大学芸術学部演劇科卒業後、東映撮影所研究生を経て、66年にテレビドラマ『丸出ダメ夫』(日本テレビ系)でデビュー。71年に香港に渡り、同年『続・拳撃 悪客』で海外デビューを果たした。映画『帰って来たドラゴン』で日本凱旋し、『闘え!ドラゴン』(東京12チャンネル)、『Gメン‘75』などに出演後も、『七福星』(85年)、『フィスト・オブ・レジェンド』(94年)など国際的に活躍を続ける。

THE CHANGE編集部