松平健「引き継いで私が頑張ります」マツケンサンバ振り付け真島茂樹さんお別れ会で決意

AI要約

真島茂樹さんのお別れの会が8日、東京・ホテルニューオータニで行われた。会場は赤や白、ピンクの花々で飾られ、真島さんの遺影が中央に置かれた。

松平健は真島との親交を語り、彼の業績を称えた。松平は最後に会ったのは亡くなる5日前であり、真島の品とパワーを讃えた。

真島は5月22日に亡くなり、葬儀・告別式は親近者のみで執り行われた。彼の事務所は彼の夢を追い続けたことをコメントし、突然の訃報に驚きが広がった。

松平健「引き継いで私が頑張ります」マツケンサンバ振り付け真島茂樹さんお別れ会で決意

 5月に虚血性心不全で77歳で亡くなった、松平健のヒット曲「マツケンサンバ2」などで知られる振付師でダンサーの真島茂樹(まじま・しげき)さんのお別れの会が8日、東京・ホテルニューオータニで行われた。

 祭壇は舞台をイメージしたという赤いライトで照らされ、赤、白、ピンクの花々で彩られた。中央には薄ピンクのスーツを着てほほ笑む真島さんの遺影が置かれた。親交のあった関係者らが多く訪れ、会場にはこれまで着用した衣装約30着や、軌跡をたどる写真や資料、知人からのメッセージなどが展示された。

 「マツケンサンバ2」で一世を風靡(ふうび)した松平健(70)は「彼の業績はすごいです。今日もこれだけの人が集まってくれて」と神妙な面持ちで語りつつ「マジー(真島)から引き継いで私が頑張ります。80歳までできますかね」と表情を引き締めた。

 出会いはまだ松平が10代の頃だった。「その時もう彼はスターだった」と著名な踊り手となっていた真島と合同ミュージカルなどで親交を深めた。「マツケンサンバII」は真島が日本舞踊を習い始めたという話を耳にした松平からのオファー。「それまでは日本舞踊中心の振り付けでしたが、彼がやったら洋風が入ってきてガラッと変わったんです。最初は恥ずかしかったですけど、みなさんに喜んでもらえて。楽しい曲になりましたよね」と笑顔もみせた。

 最後に会ったのは亡くなる5日前。日本テレビの音楽番組の収録で一緒に踊った。「体調の話も何もしていなかったですし、亡くなる前日も仕事をしていたと。衣装を見ても分かりますけど、品があってパワーもあった人でした」としのんだ。

 真島さんは5月22日午後10時38分に亡くなった。葬儀・告別式は遺族の意向で親近者のみで執り行った。所属事務所は「真島は、小さい頃からの夢を実現させレビューの道を邁進して参りました 『マツケンサンバ2』の振付以降は、活動の幅も広げ皆様に愛される日々を送り、自ら『一生踊り子』という言葉を胸に亡くなる前日まで元気で仕事をこなしておりました」とコメントをつづっていた。関係者などによると、5月22日に都内の自宅を訪ねた知人が、真島さんが倒れているところを発見。病院に緊急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。