【和田彩花のアートさんぽ】彫刻家の視点で作られた日本庭園のある住居兼・アトリエへ―――朝倉彫塑館

AI要約

和田彩花さんがパリでの日々を綴る新エッセイがスタートしました。

今回の記事では、日暮里にある朝倉彫塑館を訪れ、彫刻家朝倉文夫のアトリエと住居を紹介。

朝倉の写実表現や家族の写真、庭園や中国趣味コレクションなど、館内の魅力に触れます。

【和田彩花のアートさんぽ】彫刻家の視点で作られた日本庭園のある住居兼・アトリエへ―――朝倉彫塑館

大学院で美術史を学び、現在もさまざまなメディアでアートに関する情報を発信している和田彩花さん。2022年からはフランス・パリに長期滞在し、「アート」をキーワードにパリでの日々を綴った「和田彩花のパリ・アートダイアリー」を経て、和田さんの新エッセイがスタートしました。

本連載では、展示内容や収蔵品、歴史や建物などに特徴がある都内近郊の美術館や博物館、ギャラリーなどを訪問。大規模な企画展が開催されているような美術館とは異なり、地域に根差した美術館や個性的なアートスポットを取材し、和田さん独自の視点でその魅力をご紹介します。

じっくりとアートと向き合う時間を過ごせる、お気に入りのスポットを探しに出かけてみませんか。(ぴあアプリ/WEBより転載)

蒸し暑くなってきましたね。美術館って夏の暑い時期にも活用できる場所だったりしませんか? 私は、庭園の木陰で涼んだりしながら、夏も芸術を楽しんでいます。

今回は、下町の雰囲気が残る日暮里駅で降りました。昔ながらの商店を横目に歩いていく道のりにうきうき。さあ、もうすぐ朝倉彫塑館につきますよ。

ここは、明治から昭和にかけて活躍し、近代日本の彫刻界を牽引した朝倉文夫のアトリエと住居を公開している朝倉彫塑館。本連載の第3回で福沢一郎記念館を取材した際、朝倉文夫がここを教場として多くの弟子を育成した「朝倉彫塑塾」で福沢が学んでいたと伺ったことから、ぜひ行ってみたいと思っていたのです。お話を聞かせてくださったのは、朝倉彫塑館主任研究員の戸張泰子さんです。

建物は、コンクリート造のアトリエと木造の住居空間というつくり。館内入ってすぐの扉は、広々としたアトリエにつながります。

これまで取材してきた芸術家のアトリエ同様、朝倉のアトリエ北側にも大きな窓が設置されています。しかしながら朝倉の場合は北側だけでなく南側と東側にも窓を設け、ふんだんに光を取り入れているのが特徴。アトリエ内の壁をR仕上げにすることで、鋭利な影を作らず空間全体に光を回せるのだそうです。

「特に彫刻は、光と影の影響を受けやすく、天気によって作品の見え方が変わってくるため、アトリエ全体を照らす光が重要です。彫刻は野外に設置されることが多かったので、朝倉はどのような光の条件のもとでも作品を綺麗に見せることに苦心しました」

現在、アトリエでは、特集「没後60年 朝倉文夫の世界―男性像―」(9月8日(日)まで)が開催されています。

男性像を見ていくと、人体の筋肉や骨まで見えてきます。高さ3.78メートルある作品《小村寿太郎像》(1938年)では、ジャケットのヨレまで表現されています。「朝倉の彫刻の特徴は、自然主義的な写実という点がまず挙げられ、モデルをそっくりそのまま表現します。加えて、芸術の自由も大切にする作家でした。日本近代彫刻のいわゆる旧派は、木を彫刻することが多かったので、見たものをそのまま塑造(粘土)で作るという点が朝倉ならではの表現だと言えます」

《大隈重信像》(1932年)では、義足を使っていたことにより大きさが左右異なっていた靴の違いまで表現しているんだとか。「朝倉は、技術力がとても高かったので肖像彫刻の依頼が多くありました。当時の彫刻家がこのような仕事を好まなかったなか、朝倉は人が嫌がる仕事を受けていたということでもあるようです」

次は、圧巻の書斎です。所蔵されている洋書の多くは、東京美術学校時代の恩師である岩村透の蔵書だそう。「岩村は、東京美術学校時代の恩師です。美術史家、美術評論家で、その授業は教室から人が溢れるほど人気だったようです。これらの蔵書は岩村の没後に朝倉が買い取ったもので、日本近代美術史上重要な資料でもあります」

また、書斎の一角には長女で舞台美術家・画家の朝倉摂さんと次女で彫刻家の朝倉響子さんなど朝倉の家族の写真を引き出してみられるスペースも。

実は、私が学生時代に学んでいた博物館学課程の実習で、摂さんの展覧会のお手伝いをしたことがあります。摂さんの《群像》という作品がとても好きで大切な記憶のひとつになっているので、こうしてまた摂さんの人生に触れられる機会があり嬉しかったです。

書斎を抜けていくとがらっと雰囲気が変わり、日本家屋の住居空間へつながっていきます。素敵な渡り廊下を歩いていくと、中庭と池を囲むように住居空間が建設されていることに気づきます。

「彫刻家の視点で作られたお庭になっています」と、戸張さん。ん? どういう意味ですか?ちょっとわからなくて。「ぐるっと回りながらどこからみても、美しいつくりになっています」

なるほど、360度楽しめる彫刻と同じようにこの池を楽しめばいいのですね。池には鯉が泳ぎ、水の揺らぎとその音、大きな石が印象的です。波で磨かれたつるつるとした大きな海石は、真鶴からわざわざここまで運んできたのだそう。

廊下を進んでいくと、家族との食事の場である居間、朝倉の自室であった茶室へとつながっていきます。「朝倉は、家族の団欒を聞きながら、自室で原稿を書いていたようです」

勝手ながら、作家の自室や書斎って、家族の空間と切り離されたイメージを持っていました。賑やかな家族の声と、庭からつながる自然や屋外の情景と連続した場所で作業する朝倉の姿が素敵です。

2階にも部屋は続きます。住居空間の各部屋には蘭鉢や「トン」とよばれる陶器で作られた椅子をはじめ、さまざまな中国陶器が展示されています。これらは全て朝倉のコレクションだそう。

この時代、西洋から芸術という概念やさまざまな技術が輸入され、西洋への関心が高い時代でもあったと思います。朝倉さんはどこかに留学したり、海外への関心があったのでしょうか?

「朝倉は、留学はしていないんです。当時、文展の2等賞以上を2回連続で受賞すると、国費留学できたのですが、彫刻では朝倉と荻原守衛がしばらく競い合い続けていて、朝倉が2回連続で受賞できたときには留学制度がなくなってしまったんです。どちらかというと朝倉は中国趣味や文人趣味を持っていて、東洋蘭を育てていたりもしました。そのため、住居空間にはコレクションの中国陶器がたくさん展示されています」

日本家屋や中国趣味は、時代を超えて素晴らしいと感じられる文化です。朝倉の居住空間でアジアの美もぜひ発見してみてほしいです。

3階にある客間は、豪華な材料で仕上げられているようです。客間に入った途端、感嘆の声を上げる取材チーム一同。「壁には、赤瑪瑙(あかめのう)が、より綺麗な仕上げを目指すために、人力で石を砕いて用いられています。天井板には、神代杉という地中に埋まっている木が使用されています。輝く光沢感が美しい材木で、裏張りされていることが穴から見てとれます」

外観から想像できない朝倉彫塑館のスケールに圧倒されっぱなしです。

最後に、朝倉彫塑館で訪れてほしいのは屋上です(※雨天や強風など荒天時には閉鎖される場合あり)。広い空と、オリーブの木のある屋上庭園、野外彫刻が可愛らしい。そういえば、朝倉もここで野菜を作っていたとか?「野菜作りは、朝倉彫塑塾の必須科目になっていました。野菜を育てていく過程をよく観察することは、モデル、モチーフを見る目に通じるものがあるという言葉を残しています。塑造も土で命を吹き込む作業なので、生命を育む野菜を通して、土に親しむことを学ばせたかったのではないかと思います」

本来いるべき場所とは異なる分野や場所での時間が、人生にもたらす影響って少なからずありますよね。私は、アイドルと美術の世界、東京と地元の群馬を行ったり来たりするなかで、今の価値観を持ったように思います。読者の皆さんは、人生にどんな経験があったりしましたか。

大きな作品に圧倒され、素敵な日本家屋、お庭、中国趣味コレクションに癒され、屋上庭園でちょっといろんなことを考えてみる、濃い時間をぜひ朝倉彫塑館で楽しんでみてくださいね。

あ、忘れてはいけない。朝倉文夫の猫好きと猫の彫刻について。幼少期を猫と過ごした私がみても、猫がよくする仕草や行動そのままな造形に驚きました。朝倉の写実表現をこんなにも楽しく簡単に知ることができるとは。朝倉彫塑館では、猫の作品を忘れずに見てきてくださいね。

■朝倉彫塑館

彫刻家 朝倉文夫の自宅兼アトリエを、朝倉の没後、1967(昭和42)年に作品を展示・公開する施設として遺族により一般公開。現在は台東区立の施設として運営されている。現在の建物は1935(昭和10)年に建てられたもので、朝倉が自ら設計し、細部にいたるまでさまざまな工夫を凝らしている。2001(平成13)年には建物が国の有形文化財に登録。2008(平成20)年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されている。

【展覧会情報】

『特集「没後60年 朝倉文夫の世界―男性像―」』

会期:2024年6月7日(金)~9月8日(日)

常設展示内の特集企画。2024年は朝倉文夫没後60年にあたる年。朝倉が生涯にわたって追求した人体表現が、会期をわけて(前期は女性像、後期は男性像)特集されている。《小村寿太郎像》《大隈重信像》をはじめ、第4回の文展に出品され、朝倉の代表作のひとつとも言われている《墓守》(1910年)、2021年に寄贈され今回が初公開となる《佐藤慶太郎像》(1943年)などが展示されている。

■プロフィール

和田彩花

1994年生まれ。群馬県出身。2004年「ハロプロエッグオーディション2004」に合格し、ハロプロエッグのメンバーに。2010年、スマイレージのメンバーとしてメジャーデビュー。2015年よりグループ名をアンジュルムと改める。2019年にアンジュルム及びハロー!プロジェクトを卒業し、以降ソロアイドルとして音楽活動や執筆活動、コメンテーターなど幅広く活躍。2022年、フランス・パリへの留学を経て、2023年にはオルタナティブバンドLOLOETを結成。2024年4月からは愛知、京都で初のライブツアー「LOLOET NEW TRIP TOUR 1」を開催。