心霊ドッキリの季節 傑作を生んできた清水崇監督の恐怖の原点とは
心霊ドッキリをテーマにしたバラエティー番組が人気の理由について紹介。
ドッキリで人々が恐怖に駆られる様子やホラー要素が笑いを生む一例を挙げる。
恐怖演出のクオリティーの高さや、怖がり少年から恐怖演出家への転機について詳細を述べる。
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
バラエティー番組で「心霊ドッキリ」が見られる季節がやってきた。
ホラー系の作品が特に好きというわけではないが、ドッキリで人が恐怖に駆られる姿には思わず笑ってしまう。
「水曜日のダウンタウン」(TBS系)でこのほど放送された「田舎に泊まろう!」的宿探しが、途中からホラー色強めになった時は、得した気分になった。
廃虚のような家で眼光鋭い家主ににらまれたターゲットのレインボー・ジャンボたかおが「オレ、相撲やっててけっこう強いですから」と必死に抵抗を試みる姿に笑いが止まらなかった。
正直に明かせば、「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」(同)の「心霊バスシリーズ」は永久保存版としてハードディスクに残してある。そんな心霊ドッキリ好きの立場から言わせてもらうと、もっともクオリティーの高いのが、この「モニタリング」が「呪怨シリーズ」の清水崇監督と組んだ一連の企画だ。
3年前から始まったこの企画は「村」全体を舞台にした壮大なものから、映画の撮影現場、地下駐車場と設定を変えながら、ターゲットとなるタレントたちの極め付きのリアクションを引き出してきた。微妙な違和感をしのばせながら、文字通り忍び寄るような恐怖の演出が何とも巧みなのだ。
その清水監督が小芝風花を主演にすえて「魔女の宅急便」の実写版(14年)を撮った時にゆっくりと話を聞く機会があった。
監督が映画の世界に魅せられたのは、10歳の時に見た「E・T・」がきっかけだったという。
「ちょうど主人公と同じ年齢だったんですね。だから一番感銘を受けたんでしょう。実はその頃は怖くてホラー映画は見られなかったんです」
何でも怖がる少年だったそうだ。
「夜1人でトイレに行くときもビクビクしていたし、階段を上がるとき、途中で何か出てきたらどうしよう、とか。人がいる気配がするような気がしたり、音におびえたり、木が揺れてもビクビクした。日常にある普通のことがひたすら怖かったんです」
人一倍の怖がりぶりが、希代の恐怖演出家を生み出すことになった。
「怖がりながら想像を膨らませる子だったんですね。そこに何かいるんじゃないか。ああだったら怖い、こうだったら怖い。必要以上に想像してしまう。結局それが今の恐怖シーンのアイデアにつながっているんです」
初めて見たホラー映画は友人に勧められた「死霊のはらわた」(81年)だった。サム・ライミ監督のデビュー作であり、残酷シーンの連続で「スプラッター・ブーム」の先駆けとなった作品だ。
「確か中学生の時です。もう、ずっと目を覆いながら、指の隙間から見ました。この映画を作った人は確実に頭がおかしいと思いましたね」
その20年後、ライミ監督のプロデュースで「呪怨」のハリウッド版を撮ることになる。最弱の怖がり少年が最強のホラー監督になったことを象徴するエピソードと言えるかもしれない。
渋谷凪咲主演の新作映画「あのコはだぁれ?」は19日に公開されたばかり。ホラー職人清水監督による「心霊モニタリング」の新作オンエアを楽しみにしている。【相原斎】