宮崎駿さんと庵野秀明さんに挟み撃ち「これは勝てないな」 ガンダムキャラ描いた安彦良和さん

AI要約

アニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイナー、アニメーションディレクターで、漫画家としても活躍する作家の回顧展「描(えが)く人、安彦良和」が、神戸市中央区の兵庫県立美術館で開催中。

安彦良和さんのキャリアや専業漫画家としての経緯が紹介され、アニメ業界に復帰する異例の経緯も明らかになる。

インタビューでは、アニメ業界を離れた理由や漫画家に転身した思いなどが語られている。

80年代末にアニメ業界から一時的に離れた理由や、制作環境の変化について語られている。

若手クリエイターの台頭や宮崎駿の活躍、庵野秀明の登場など、業界に変化が訪れた背景が明らかになる。

漫画では自身の意欲を発揮しやすいこと、物語と絵の関係、そして専業漫画家に転身した経緯について安彦良和さん自身の言葉が示されている。

 アニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイナー、アニメーションディレクターで、漫画家としても活躍する作家の回顧展「描(えが)く人、安彦良和」(神戸新聞社など主催)が、神戸市中央区の兵庫県立美術館で開かれている。半世紀を超える安彦さんのキャリアはガンダムがヒットした後、専業漫画家の長い時期を経て、アニメ業界に復帰するという異例の経緯をたどる。来館した安彦さんに創作活動を振り返ってもらい、専業漫画家に転身した際の思いについて聞いた。(石崎勝伸)

■「本気を出して作ると、ここまでいくか」

 -ガンダムがヒットした後、自身は1980年代末にアニメからいったん手を引くが、思うところがあったのか。

 「80年代はアニメ業界にとって大きな時代。世代交代が一気に進んだ。待ちに待っていたが、波として思っていた以上に大きかった。先輩には失礼な言い方になるが、業界全体が一種のマンネリ化というか、硬直化していた時代が長かった。それがもどかしくて、未熟でもいいから若い人たちとやりたいと」

 「ただ、自分は若い人たちの先頭に立ってリードできるんだという思い上がりがあった。思った以上に元気で若い人たちがどっと出てくると、置いていかれるというか、そっちに行ってしまうのかこの波は、と」

 「若い人たちは非常にマニアックなことを始める。僕はアニメって何だということを知らないで業界に入って、自分にもできそうだと始めた。でも、若い人たちはガンダムをはじめいろんなものを見て、面白いことをやっているということで、最初から意欲を持って何かやろうと入ってくる。そこからマニアックなオタク世代も出てくるが、そうなると、もともと好きでもなかった人間としてはテンションがついていけない、後塵(こうじん)を拝することになる。自分は引き時かなと80年代半ばには感じていた」

 「あと非常に大きかったのは宮崎駿さん。世代は僕より上だが、『アルプスの少女ハイジ』を含めていい仕事をしていて、大変リスペクトしていた。その宮崎さんが追い風を受けて『風の谷のナウシカ』を作り、これが非常にいい。アニメにずっとひたむきに取り組んできた人が本気を出して作ると、ここまでいくかと。僕はもともと好きでもないところからやっていて、これは勝てないなと思った」

 「ちょっと挟み撃ちにあった感じだった。クリエイターの象徴として挙げさせてもらうと、上に宮崎さんがいて、下から(『新世紀エヴァンゲリオン』などを制作した)庵野秀明さんが来た」

 「自分もアニメをやっているうちに愛情が湧いてきて、大事に作ろうという気にはなっていたが、やはり根っから好きで、それにまい進できる人には勝てないなと。作品で言えば(86年に劇場公開された)『アリオン』のあたりで限界を感じた。将棋で言うと、投了の前に形を作ってやめようという気分になっていた」

 -アリオンはロボットものではなく、古代の神話に着想を得た話だった。

 「あれは、もともと(アニメの)企画書を書いたが、なかなか読んでもらえなかった。ちょうどその時、雑誌で漫画を描かないかという誘いがあり、漫画にしたら読んでもらえる、うまくいけばアニメ化できるかもしれないという下心があった」

 「『歴史もの』というイメージだったが、思った通り評価されなかった。力の限界だった。いろんな意味で自分にはこれくらいしかできないんだという感じだった。自分がやりたいことは何だという思いになっていた」

 -絵が好きだということと、物語を書きたいという思いは一体のものなのか。

 「物語があっての絵だ。絵を描きたいだけだと、絵描きさんほどの才能はないと。絵で物語を語りたい。ただアニメは金がかかり、スポンサーに金を出してもらわなければならないなど、いろんな制約がある。漫画は個人作業でできる。もともと自分がなりたかったのは漫画家だったじゃないかと。その後、漫画の誘いがまた来たので、この際、アニメの仕事を畳んで専業漫画家になろうと思った」