『虎に翼』寅子のモデル・嘉子は裁判官になれずに嘱託採用され…「家制度」を廃し、個人の自立を進める改正・立法作業が人生に強い影響を

AI要約

1947年3月、嘉子は司法省を訪れ、裁判官採用願を提出するも話が実らず、司法省民事部に嘱託として採用される。

明治時代の「家制度」改革に取り組む中、家事審判法の制定を支援し、個人の自立を進める取り組みに関わる。

裁判官としての夢を断たれたが、家庭裁判所の発展に大きく貢献するきっかけとなる。

『虎に翼』寅子のモデル・嘉子は裁判官になれずに嘱託採用され…「家制度」を廃し、個人の自立を進める改正・立法作業が人生に強い影響を

24年4月より放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子のモデルは、日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんです。先駆者であり続けた彼女が人生を賭けて成し遂げようとしたこととは?当連載にて東京理科大学・神野潔先生がその生涯を辿ります。先生いわく「嘉子は新しい法律、新しい制度を市民に啓蒙する役割を、積極的に担っていこうとしていた」そうで――。

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◆司法省へ、そして最高裁判所へ

1947年3月、嘉子は司法省を訪れ、大臣官房人事課長の石田和外(後の最高裁判所長官)に対して、裁判官採用願を提出しました。

石田和外は、嘉子を坂野千里東京控訴院長と引き合わせてくれました。

しかし、坂野からは、女性裁判官が初めて任命されるのは、新しく最高裁判所が発足してからの方が良いと言われ、裁判官としての仕事を勉強するために、司法省へ入ることを勧められてしまいます。

日本の司法制度も大きな変革の中にあり、坂野にはそのことも念頭にあったのでしょう。

嘉子は残念ながら裁判官にはなれず、1947(昭和22)年6月、司法省民事部に嘱託として採用されました。

嘉子は、司法省民事部で民法調査室の所属となって、当時改正・制定の途上にあった民法・家事審判法の議論に関わっていきました。

◆日本独自の「家制度」

明治時代に作られた民法は、ドイツを中心に諸外国の影響を強く受けたものでしたが、そのうちの家族法については、日本独自の「家制度」を設けていました。

「家制度」のもとでは、戸主の力が極めて強く、結婚した女性は無能力者(契約などの法律行為を単独では行えない人)であると位置づけられていました。

1947年5月に新たに施行された日本国憲法のもとでは、このような女性の人権を無視した「家制度」は当然ながら認められず、大幅な改正が必要だったのです。

また、関連して、「個人の尊厳と両性の本質的平等を基本として、家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ること」を目指して、家事審判法の制定が進められました。

この家事審判法に基づいて、「家庭内や親族の間に生じた争の事件や争でない重大な事柄の事件をやさしい手続きで、早く、親切に、しかも、適切に処理する家庭事件専門の裁判所」として、1948年1月に地方裁判所の支部として家事審判所が設置されます。

嘉子の正直な気持ちとしては、裁判官になれなかったことへの不満もありました。とはいえ、ここで進められた改正・立法作業は、「家制度」を廃して個人の自立を進めるものであり、嘉子はそれに関わることに大きなやりがいも感じていたといいます。

なにより、この時代に得た関心・知識・経験が、後に家庭裁判所の発展に力を尽くすようになる嘉子の人生に、大きな影響を与えていくのです。