朝ドラ『虎に翼』寅ちゃんのモデルが、生涯『わが子』と呼んだ「家庭裁判所」への思い

AI要約

寅子の動向がネットニュースになるほど話題の朝ドラ『虎に翼』。ドラマの主人公のモデルとなった三淵嘉子の生涯に注目が集まっている。

嘉子は家庭裁判所の創設に一役買い、「家庭裁判所の母」と称される存在だった。彼女の熱意と努力が家事審判法の制定に繋がった。

また、嘉子は少年審判所の整備も求められ、戦後の混乱から激増する少年犯罪に対処するため、家庭裁判所の設立が急務とされた。

朝ドラ『虎に翼』寅ちゃんのモデルが、生涯『わが子』と呼んだ「家庭裁判所」への思い

 毎朝、寅子の動向がネットニュースになるほど、社会現象化している伊藤沙莉主演の朝ドラ『虎に翼』。ドラマ内の寅子の人生とともに、彼女のモデルとなった日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ女性、三淵嘉子氏の生涯にも注目が集まっている。

 今まで、三淵嘉子がどういった人だったのか、また意外と知られていなかった功績などを記事化してきたが、ドラマで今描かれ始めている「家庭裁判所」は、三淵嘉子のライフワークであり、立ち上げに関わった「生みの母」とも言われている。さらにその後、初の家庭裁判所所長として5000人超の少年少女を導いた「育ての母」というまさに「家庭裁判所の母」として、八面六臂の活躍をしてきた人なのだ。

 ドラマの展開の先読みになる部分もあるが、史実ではどうだったのを知ることでよりドラマを見る目が深まるはずだ。今回は家庭裁判所を立ち上げるまでの嘉子の「生みの苦しみ」と、嘉子が「わが子」と生涯呼び続けた家庭裁判所への想いをお伝えする。

 第10週(6月3日~7日)の冒頭で、日本国憲法が改正されて、憲法14条の「すべての国民が平等である」という一文を心に、寅子は司法省の人事課を訪ね「私を裁判官として採用してください。お願いします!」と桂場等一郎(松山ケンイチ)に頭を下げた。

 実際の三淵嘉子も終戦直後、発布された日本国憲法を理由にそれまで女性はなれなかった裁判官の採用願を提出しているが、ドラマ同様、「時期尚早」と裁判官登用を断られてしまう。しかしその熱意を汲まれ、司法省民事局局付の嘱託職員として採用され、新民法の成立に携わる。この部分は史実とドラマが重なる部分だ。

 昭和23年1月、新民法の成立と時を同じくして、嘉子は司法省からその前年に発足した最高裁判所民事局へ異動。ここで嘉子は、家庭内の争いを調整する家事調停などを定める家事審判法の制定作業を行うことになる。

 実際、日本では家庭内又は親族間での紛争などを扱う家事調停自体は、昭和14年から始まっていたものの、大日本帝国憲法そのままに「家制度」を中心とした考えが色濃く反映されていた。「いくら家庭的な争いでも、日本の美しい家族制度に反するようなわがままな申し立ては調停してもらえません」と当時の司法省民事局長がインタビューで発言するほど。例えば離婚調停では、子どもは「家」のものであるとして、男性が引き取るのが当たり前の裁定だった。

 しかし、ドラマでも描かれていた民法改正後に作られ、嘉子が関わった家事審判法には、法律の目的がこう謳われている。

「個人の尊厳と両性の本質的平等を基本として、家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを目的とする」

 家事審判法制定後には「家」ではなく、あくまで個人の尊厳と両性の平等を基本とし、離婚に伴う親権争いでは「子どもにとってベストな環境」を最優先した審判が行われた。

 戦時中の人事(旧家事調停)調停に比べて、新民法が成立した昭和23年には家事調停案件が約5倍に急増。調停は家事審判所で行われていたが、独立した庁舎は持っておらず、地方裁判所の1部屋を臨時で使う形で行われていた。規模が一番大きかった東京家事審判所でさえ、東京弁護士会の講堂を借りて審判を行っていたほどだ。

 講堂内でいくつもの審判や調停が同時に行われるため、離婚や子どもの認知といった人に聞かれたくないもめごとも、隣の審判中の人にダダ漏れ状態だったという。それでも急増した調停をさばききれない状況が続いていた。

 さらにこのころは、少年による事件も激増していた。戦後の混乱から行政はほぼ機能せず、物資不足などから、戦争孤児による生きるための「盗み」行為が、事件増加の主な要因となった。昭和21年、少年の刑法犯の検挙者数はおよそ10万人。その約8割が窃盗だった。

 そうした罪を犯した少年たちが審判を受ける少年審判所は全国にたった18ヵ所しかなく、審判自体を受けるにも時間がかかり、少年を収容する少年院などの施設も圧倒的に不足。終戦直後は定員の3倍以上の少年が、各地の少年院にすし詰め状態で押し込まれていた。家庭審判も少年審判も、それを行う司法の体制が未整備&貧弱だったため、オーバーフローをきたしていたのだ。

 ドラマ内で「家庭裁判所の設立が急務」と言われる理由はこういったことにあったのだ。