小倉智昭 吃音に苦しんだ幼少期…それでも「アナウンサー」を志した理由とは?

AI要約

小倉智昭さんは吃音者でありながら、プロの仕事ではスムーズに話すことができると明かしました。

吃音は幼少期から続いており、人々によく驚かれることもあると語りました。

小倉さんが女の子に謝罪の手紙を受け取った体験についても明かされ、その心温まるエピソードが話題となりました。

小倉智昭 吃音に苦しんだ幼少期…それでも「アナウンサー」を志した理由とは?

TOKYO FMの音声サービス「AuDee(オーディー)」で配信中の、放送作家にてラジオパーソナリティの植竹公和氏が、彼のレーダーにひっかかった文化人を招いて送るトーク番組「歌う放送作家 植竹公和のアカシック・ラジオ」。5月31日(金)配信回のお客様は、前回に引き続きフリーアナウンサーでタレントの小倉智昭さん。ここでは、吃音で悩んでいた幼少期時代について語ってくれました。

植竹:新潮新書から出たばかりの小倉智昭さんの書籍「本音」を読むと、喋るお仕事なのに、もともと吃音者だったと書いてありました。

小倉:そうです。吃音“だった”ではなく、今でも吃音なんですよ。

植竹:えっ!?

小倉:今でも激昂したり突然振られて答えたりするときはそうなる。電話も吃音が出そうになるから嫌いです。それと、女房と気を許して話すとき、マネージャーと何も考えないで話すとき、録音されたらヤバいですよ。この人はプロなのに「なんでこんなに」ってぐらいに。

植竹:意外です。

小倉:マイクの前で言葉がなめらかに出るのはお金がもらえるから(笑)。ハッキリしているんですよ。よくね、吃音の人たちを相手にする講演を頼まれるんですよ。僕がいつも最初に言うのは「みなさん、吃音は治りませんよ」なんです。そうすると、みんなガッカリするんですよね。でも、「僕ぐらいには喋れるようになりますよ」って言ったら「そうなんだ」と目の色がキラキラと輝きだすんです。

植竹:(吃音は)いつ頃からですか?

小倉:物心ついたときにはそうでしたよ。親も何が原因で吃音になったかわからないと(言っていた)。ただ、「ゆっくり話しなさい」と言われれば言われるほど、酷くなるんですよね。今でも小学校のクラス会とかに行くと、「小倉君がアナウンサーになると聞いてビックリした」って言われる。

植竹:そんなに!

小倉:最近いい話があってね。僕は小学校の2年間だけ秋田から東京に出てきて、新宿の小学校に行ったことがあったんです。そのときに僕の大好きだった女の子と「また秋田に戻ることになったんだ」という話をしながら歩いて帰ったことがあったの。小学4年生のときです。

そのときのことをなんとなく覚えていたんだけど、50年ぐらい経ってその女性から手紙が来たんですね。「私はずっとあなたに謝らなければいけないと後悔していました。小倉君が学校を転校するときに、最後に私と一緒に帰ったのを覚えていますか?」と書かれていて、「もちろん覚えているよ」っていう感じだったんですけど。

「何かの話のきっかけで『小倉君は吃音だから』と言ったのを覚えています。なんと失礼なことを言ったのだろうと思いましたし、そのことをいつか謝らないと自分の気持ちがおさまらない」という手紙をもらったんです。

植竹:へええ!

小倉:電話で話す機会があったから、「(失礼だなんて)そんなことは全然思ってもいないし、もし言われたのだとしたら1つの励みになったのだと思いますよ」と伝えました。