「泣き寝入りしたくない」たった一人で始めた戦い 旧優生保護法違憲訴訟

AI要約

飯塚淳子さんが旧優生保護法下で不妊手術を強制された過去を訴える訴訟の上告審弁論が行われ、被害者らが最高裁の大法廷で救済を訴えた。

飯塚さんは16歳の時に不妊手術を受け、その後の苦しみや社会生活に影響が及んだことを証言。

訴訟では、旧法を違憲としつつも、手術から20年以上が経過していることから損害賠償請求権の消滅を理由に敗訴となった。最高裁での判決を待つ飯塚さんは国に謝罪と補償を求めている。

「最高裁が最後の希望です」。旧優生保護法下で障害などを理由に不妊手術を強制されたとして国に損害賠償を求めた訴訟の上告審弁論で29日、被害者らが最高裁の大法廷で救済を訴えた。「戦後最大の人権侵害」(原告側)とされながら、広く知られることのなかった被害。「泣き寝入りしたくない」と、飯塚淳子さん=仮名=がたった一人で始めた戦いは、全国に訴訟として広がった。

「被害を闇に葬られてはならないと思い、歯を食いしばって訴え続けました」

この日、70代の飯塚さんは大法廷でそう意見陳述した。

旧優生保護法では、都道府県の審査会が決定すれば、障害者などに同意なしに不妊手術や人工妊娠中絶手術をすることを認めていた。

この規定に基づき、飯塚さんが不妊手術をされたのは、16歳の時だ。

中学3年の時に知的障害児の施設に入所後、職業訓練をする「職親(しょくおや)」のもとで住み込みで働いていたが、連れていかれた診療所で手術をされた。

手術の記憶はほとんどないが、ある日、実家で両親が「子供を産めなくした」と話しているのを耳にした。

腹部には傷があり、生理のたびに激しい痛みに苦しんだ。子供を産めないことを負い目に感じ、結婚生活もうまくいかなかった。不妊手術を打ち明けた相手は、飯塚さんの元を去っていった。

職親や父を恨んだ。

転機は平成25年。地元の法律相談で、弁護士に手術のことを相談。日本弁護士連合会への人権救済申し立てをしたことが報道された。

報道を機に被害者が名乗り出始め、30年1月には全国で最初の訴訟が仙台地裁で提起。同年5月、飯塚さんも続いた。これまでに原告となった被害者は39人に上る。

ただ、飯塚さんらの訴訟では、1、2審とも旧法を「違憲」としつつも、手術から20年以上が経過していることから、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅すると定めていた当時の民法の「除斥期間」を適用し、敗訴となった。

各地の高裁でも違憲判決が相次いでいるが、除斥期間の適用を制限する範囲については判断が分かれている。

「戻れるなら16歳のころに戻りたい。命あるうちに国に謝罪と補償をしてほしい」と飯塚さん。最高裁での弁論を終え、「ここまで長い道のりだった。いい判決であってほしい」と話した。(滝口亜希)