「完治せずとも一生向き合う」 競馬、借金…そして回復へ 当事者が語るギャンブル依存

AI要約

男性がギャンブル依存症になった経緯と回復の取り組みを明かす。

ギャンブル依存症からの回復に向けた転機と支援団体への参加。

自助グループでの助け合いを通じて、自身の病気を認めることの重要性。

「完治せずとも一生向き合う」 競馬、借金…そして回復へ 当事者が語るギャンブル依存

 米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(29)の元通訳、水原一平被告(39)の違法賭博問題が注目を集める中、ギャンブル依存症になった千葉市の男性(32)が取材に応じた。

 「完治することはない。一生を通じ、向き合い続けるしかない」と語り、自身のギャンブル経験や回復に向け歩み始めるまでの心境を明かした。

 男性が初めてギャンブルをしたのは大学4年生だった23歳の時。兄と競馬場に行き、1000円を賭けると、6000円に増えた。「簡単に稼げるんだ」。就職して愛知県へ移ると、見知らぬ土地での初めての1人暮らしに暇を持て余し、スマートフォンで競馬を始めた。

 「小遣い稼ぎ」だったはずが、賭け金は10万~50万円に増え、気付けば400万円の借金を抱えていた。「二度とギャンブルはしない」。両親に泣きながら誓い、立て替えてもらったが、両親への返済は残る。「ギャンブルで当てなければ」。わずか一週間で再び400万円の借金を抱え、29歳の時には総額1200万円に膨らんでいた。

 母親の勧めで千葉県内の病院に通い、依存症当事者向けの回復プログラムに参加した。回復には、第一に「自分は病気だ」と認める必要がある―。医師や看護師からそう教わったが、受け入れることはできなかった。「借金さえなくなればギャンブルはもうしない。自分はほかの人とは違う」

 転機は2023年7月。再び重ねた借金に悩み、母親に「本当にやめられない。何とかしてくれ」と助けを求めると、母親は毅然(きぜん)とした態度で「お金は貸せない」と語り、支援団体に電話するよう告げた。前年に依存症患者の家族の会に入会していた母親は、手を差し伸べるだけでは解決しないことを理解していた。

 男性は支援団体を通じ、患者同士が助け合う自助グループに参加。悩みや経験を語り合う中で、初めて「自分は病気だ」と認めることができた。取材に応じたのも、経験を語ることで、回復を目指す取り組みの一つという。「取り組みを続けることで家族や友人を安心させたい」。自分に言い聞かせるように話し、前を向いた。

 支援団体「ギャンブル依存症問題を考える会」の電話相談窓口は070(4501)9625。