合格率4%未満の狭き門突破、デビューはさらに半数 海のない長野県出身初の女子ボートレーサー誕生までの道のり

AI要約

長野県中川村出身の井沢聖奈選手が女子ボートレーサーとしてデビュー戦を迎える

小学生時代からの夢を叶えるために厳しいトレーニングを続け、合格率わずか4%のボートレーサー養成所に入所

今後はSGレースに挑戦し、自身の故郷でボートレースの魅力を広めたいと意欲

合格率4%未満の狭き門突破、デビューはさらに半数 海のない長野県出身初の女子ボートレーサー誕生までの道のり

 長野県中川村出身のボートレーサー、井沢聖奈(せな)選手(20)=愛知県常滑市=が25日、愛知県蒲郡市のボートレース場「ボートレース蒲郡」でデビュー戦に臨む。信州出身の女子ボートレーサーは初めて。難関を突破し、小学生の頃からの夢をかなえた。「今まで応援してくれた人たちに感謝の気持ちを表す時。緊張もあるが、スピードを持って最後まで走り切りたい」と意気込んでいる。

 2022年冬に行われたボートレーサー養成所(福岡県柳川市)の入所試験に合格した。飯田OIDE長姫高校(飯田市)3年時の21年冬、卒業後の22年夏に続く3度目の挑戦。1335人が志願し、合格者52人という狭き門を突破した。

 井沢さんがボートレーサーになろうと決めたのは小学校5年の時。幼い頃、父親の寛さん(51)に連れられて何度か蒲郡でレースを見て「格好いい」と感じていた。ボートレースについて調べ、収益の一部が日本財団を通じて社会福祉などに役立てられていることを知った。「人の役に立つ仕事をしたい」との思いも、決め手になったという。

 夢をかなえるため、最初の不合格後、自分を追い込もうと1人暮らしを決意。反対する親を説得し、宮崎県都城市に移り住んだ。同県を選んだのは名物のチキン南蛮の宣伝をたまたま見て引かれたため。バイトをかけ持ちしながら、体を鍛えるため夜に走るなどし、学科や体力などの試験に備えた。

 養成所に入ってからの昨年4月から1年間は、操縦や整備など必要な知識、技術を学んだ。「重いモーターを1人で持って歩くなど体力勝負。慣れない生活できつく、週に3日はやめたいと思っていた」と振り返る。厳しい訓練に耐え、レーサーになれたのは合格者の約半数、25人だ。

 井沢さんは現在、日本モーターボート選手会愛知支部に所属。土日も休まず週7日、練習に励む。1回に乗れるのは20分ほど。午前は常滑、午後は蒲郡とほぼ毎日、レース場をはしごする。

 将来は「(最高グレードの)SG(スペシャルグレード)レースに出場できるレーサーになりたい」と井沢さん。「長野県はボートレースを知らない人も多いと思う。面白さを知ってもらうきっかけになれたら」と張り切っている。