【「光る君へ」本日34話】じれったいほど奥ゆかしい藤原彰子がゴッドマザーになる日

AI要約

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長の娘・彰子が一条天皇の中宮となり、「源氏物語」を書き始める。しかし、道長の目論見通りには事が進まない様子が描かれる。

彰子は、道長の婚姻政策により権力を支え、二人の天皇の母として後に「大女院」と称されるまでになる。

道長の栄華を築く婚姻政策や彰子を中心とした摂関家の政治力、そして彰子の後半生について記されている。

【「光る君へ」本日34話】じれったいほど奥ゆかしい藤原彰子がゴッドマザーになる日

 NHK大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長の娘・彰子が一条天皇の中宮となり、まひろ(紫式部)は彰子の女房として、藤壺で「源氏物語」を書き始めた。9月8日放送の第34話の予告によれば、「源氏物語」は宮中の話題をさらう一方で、この物語をきっかけに一条天皇と彰子の仲を深め、彰子の懐妊を――と願う道長の目論見通りには事が進まないようだ。

 この藤原彰子、現段階では不自由な暮らしを強いられる奥ゆかしい女性として描かれているが、実際は、道長の権勢を支えて一族に栄華をもたらし、後に二人の天皇の母となって「大女院」とも称された人物だ。

 彰子に始まる道長の婚姻政策について、『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)はこんなふうに解説している。

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 道長の権勢を支える大きな力となったのが婚姻政策である。一条天皇の中宮となった長女・彰子は、敦成親王・敦良親王という皇子を生み、後年、二人が後一条天皇・後朱雀天皇として即位し、摂関家にかつてない栄華をもたらすこととなる。

 一条天皇に代わって即位した三条天皇の中宮も、道長の娘・姸子であった。しかし、三条天皇は道長を敵視し、たびたび対立した。そこで道長は、三条天皇の病につけこんで退位を迫り、孫の後一条天皇を即位させて摂政に就任。皇太子には敦良が立てられ、道長は天皇と皇太子の外祖父となった。

 政治力のある彰子は、幼い後一条天皇の母后として天皇大権を代行し、道長は実質的な摂関として重要事項を決定し、後一条天皇と道長の長男・頼通の政権をも支えた。

 1018(寛仁2)年には、三女・威子が後一条天皇の中宮に、次女・姸子が皇太后となり、太皇太后となっていた彰子とあわせて、未曽有の一家三后を実現し、道長の栄華は頂点に達した。道長が有名な「望月の歌」を詠んだのはこの時である。

 そもそも、道長の兄・藤原道隆の娘で、一条天皇の寵愛を受けた中宮・定子に対抗する形で入内した彰子。彰子の立后を後押ししたのは、小野道風・藤原佐理とともに「三跡」と称される能書家・藤原行成だとされる。有能な官僚でもあり、藤原斉信・公任、源俊賢らとともに一条天皇を支えた「寛弘の四納言」に数えられている。

 彰子が入内した当時、一条には皇后・定子がおり、本来なら中宮は立てられないはずだが、故実に通じた行成は、先例を調べて彰子の立后を正当化し、前代未聞の「一帝二后」を実現。道長に栄華の道を開いたのである。

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『平安 もの こと ひと事典』(著 砂崎 良/監修 承香院)の「彰子」の項にも、彰子が皇子を2人も生んだことが、「道長と藤原氏の最盛期を実現させた」とあり、さらにこう続く。「出家後は上東門院と名乗って87の長寿を保ち、政治にも影響力を発揮しました。そのサロンでは紫式部、和泉式部、赤染衛門らが活躍しています」。

 紫式部は「源氏物語」を著しただけではなく、彰子の出産の様子や道長らとの交流など宮廷生活を「紫式部日記」に記した。和泉式部は敦道親王との恋愛を情熱的につづった「和泉式部日記」を、赤染衛門は女流歌人として多くの歌を残した。

(構成 生活・文化編集部 上原千穂 永井優希)