【光る君へ】遠慮がちな「彰子」 “うつけ中宮”を国母にした紫式部の教えとは

AI要約

藤原道長の悩みは、中宮彰子の後宮に一条天皇が渡ってこないこと。彰子はおっとりし過ぎているため、一条天皇が来ない理由を考える。

まひろにだけ本音を打ち明ける彰子は、18歳になっても奥ゆかしい性格を維持している。

彰子が出産してから信頼した紫式部から白楽天の詩文集『白氏文集』の講義を受け、儒教的な政治思想を学ぶ。

【光る君へ】遠慮がちな「彰子」 “うつけ中宮”を国母にした紫式部の教えとは

 NHK大河ドラマ『光る君へ』で、目下、藤原道長(柄本佑)の最大の悩みは、入内させた長女である中宮彰子(見上愛)の後宮に、一条天皇(塩野瑛久)が渡ってこないことである。

 一条天皇にはすでに、寵愛した亡き皇后定子(高畑充希)が産んだ、第一皇子の敦康親王(渡邉櫂)がいる。もしも彰子に皇子が生まれないまま、敦康が即位することになれば、定子の兄で敦康の伯父にあたる伊周(三浦翔平)が大きな権力を握り、道長を脅かすかもしれない。だから、彰子の後宮に文学好きの一条天皇を呼び寄せるために、まひろ(吉高由里子、紫式部のこと)に『源氏物語』を書かせたのである。

 だが、『光る君へ』でも、才気煥発だった定子にくらべると、もう数え18歳くらいにはなっているはずの彰子はおっとりしすぎていて、これでは一条天皇が渡って来ないのも仕方ないと思える描き方をしている。第33回「式部誕生」(9月1日放送)でも、女房たちとのあいだで意思疎通が図れない様子が描かれた。

ただ、まひろにだけは本音を打ち明け、彰子の後宮の女房になりながら、いったん自宅に戻ったまひろが、ふたたび後宮に戻る動機になった。

 この第33回で、自宅に戻ったまひろに弟の藤原惟規(高杉真宙)が、「中宮様ってうつけなの? みんな言ってるよ。亡き皇后定子様は聡明だったけど、中宮彰子様はうつけだって」と尋ねた。まひろは「うつけではありません。奥ゆかしいだけ。御意思はしっかりおありになるわ」と怒って答える場面があった。

 紫式部には気を許し、本音を吐露していたと思われる彰子。実際、「御意思はしっかりおありに」なったのだろう。だからこそ、年齢を重ねるにつれて大化けしたのである。

 とはいえ、『紫式部日記』によれば、紫式部も宮仕えをはじめた当初は、彰子の性格が非常に遠慮がちなことを指摘している。後宮内で筋がとおらないことを得意げに主張する人がいるのを見て、そういう人とは関わらず、大過なくやり過ごすほうがいいと考え、そうこうするうちに、それが彰子の後宮の気風になってしまったというのだ。

 彰子は寛弘4年(1007)末、ついに懐妊し、翌寛弘5年(1008)9月11日、敦成親王を出産する。それが彼女の人生の転機になったことは疑いないが、精神的な転機の一つは、出産する年の夏から出産後にかけて、特別に信頼するようになった紫式部から、唐の詩人、白楽天の詩文集『白氏文集』についての講義を受けたことだった。

 この詩文集は当時の貴族必携の書だった。だが、平安時代中期から後期、女性には、たとえ高位であっても漢文教養は必須ではなくなっており、彰子は読めなかった。そこで紫式部に指南させたのだ。そのとき選ばれたテキストは、『白氏文集』のなかでも儒教的で、一条天皇の嗜好と合致する「新楽府」だった。

 おそらく彰子は、「新楽府」を読むことで、一条天皇の世界につながりたいと願ったのではないだろうか。彰子が『源氏物語』を愛読し、のちには書写させて豪華本に仕立て、一条に贈っているが、やはり背景には、一条と精神的につながりたいという願いがあったと思われる。

 結果として、彰子は「新楽府」をとおして儒教的な政治思想を学び、それが彼女の思考の原点になった可能性がある。それを教えた恩師が紫式部だったのである。