「パソコンの電源の入れ方がわからない」「小さい文字の『ぃ』や、『ゔ』が打てない」レベルの低い19歳社員→それでも超最速で“会社役員”になれたワケ
1年目の光通信新入社員がパソコンの基本操作もできずに困難を乗り越え、成長する過程を描いたエピソード。
社宅管理業務に携わりながら、先輩の厳しさや仕事への姿勢を学び成長していく様子。
最初の仕事に戸惑いつつも、自らの不得意な点に向き合い、努力を重ねながら成長していく姿勢。
「パソコンの電源の入れ方がわからない」「小さい文字の『ぃ』や、『ゔ』が打てない」…1年目の配属先では、簡単な作業もできなかった光通信の新入社員。しかし、そんな彼もさまざまな人たちの協力を経て、努力を重ねることで立派なビジネスパーソンとして成長していく…。
2003年、19歳で光通信に入社したのち最年少の役員に。さらにその後、HIKAKINと出会い、UUUMを創業し、日本のYouTuberの躍進を支えた鎌田和樹氏による初の著書『 名前のない仕事──UUUMで得た全知見 』(ダイヤモンド社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
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「ゾス! 失礼します!」
そう言って社長室に入る。「ゾス!」は「オス!」の上位互換だ。
さて、何のことやら、さっぱり意味不明でしょう。
あのときの僕もそうでしたから──。
社会人として、「会社に染まる」という話です。
営業から飛んだ僕は総務に異動し、「光センタービル」に出勤することになりました。
当時の総務は6階で、7つの机がある島にいました。
僕の机の右には男性のサブマネジャー(係長クラス)、向かいには男性の先輩(ビル担当)、左には女性の先輩(社宅担当)、そのまた左には男性の先輩(消耗品担当)という配置でした。あとの2つは空席です。
当時の光通信は、社員が1万人ほどいたと思います。
その中で、社員の社宅管理だったり、稼働しているオフィス(ビル)管理だったり、営業が使う車輌の管理、消耗品発注、コールセンターの通信費管理などを取り扱い、まとめていました。
今でも驚くのは、それを少数精鋭でこなしていたことです。
会社としては、バックオフィスはコストセンターという扱いなので、少なくするメリットがあるのはわかりますが、それでも「5人」で1万人の規模を回していたのは、本当にすごい。
そんな総務課の中で、僕が最初に担当になったのは「社宅担当」でした。
一人暮らし用の社宅「単身者用」と、家族用の社宅「家族世帯用」が、全部で1500戸ありました。
光通信は各地方に拠点を持っていたので、社宅は必要不可欠でした。
それらの社宅を一人で管理している先輩女性がいて、僕はそのサポートとして入ったわけです。
最初の仕事は、溜まりに溜まった物件の契約書を「物件台帳」というものに手入力することでした。
物件名、住所、水道光熱費の連絡先、管理会社の連絡先、そして、いつから誰が入居しているかなどの情報をすべて入力します。
僕の隣にいた先輩女性は、仕事に対して厳しくて怖い存在でした。
いつも先輩女性の左に座っている人を叱っていました。
あとから聞くと、僕よりほんの数ヶ月前に移ってきた方でした。
「前にも言ったよね? なんでメモとか取ってないの?」と、詰められているのを見て、「一度聞いたことは、二度と聞いちゃダメなんだ……」と理解しました。社会人はそういうものなのだと。
そんな光景を見て、僕は戦々恐々としたのですが、どうしても質問しないと仕事が進まないことがありました。
というのも、当時の僕は、大学にほとんど通わなかったこともあって、パソコンスキルが皆無でした。
今でも2つのエピソードを覚えています。
1つ目は、「パソコンの電源の入れ方がわからない」ということです。