「死なないと、帰れない島なんですよ」祖父を地上戦で亡くした遺児が発した「言葉の意味」

AI要約

硫黄島で消えた1万人の日本兵の真相に迫るノンフィクションが12刷ベストセラーとなり、硫黄島の秘密が明らかになっている。

旧島民の子孫が硫黄島に上陸できない制限があり、墓参も許されていない状況の中で、遺骨収集事業に協力する団体が活動している。

楠きょうだいは休息日に墓参りを続け、祖父母や家族の高橋邸の跡地を発見し、過去の記憶をたどることで戦争の影響を感じている。

「死なないと、帰れない島なんですよ」祖父を地上戦で亡くした遺児が発した「言葉の意味」

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が12刷ベストセラーとなっている。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

「小笠原村在住硫黄島旧島民の会」事務局長の楠明博さんにとっての転機は2009年。50歳のときだ。

「死ぬときは、お父さんの近くで死にたい」と、同居する母から伝えられた。楠さんは当時、埼玉県在住の会社員だったが、転身を考えている時期でもあった。硫黄島に近い父島の求人を調べると、転職できそうな仕事があることが分かった。そして二人で父島に移住した。2年後に妹の京子さんも父島に渡った。

移住から間もなくして、父島に拠点を置く「小笠原村在住硫黄島旧島民の会」が長年、政府の遺骨収集事業に協力していることを知った。会の幹部から声をかけられたことをきっかけに参加を始めた。それが2016年。以来、参加回数は約30回を数える。後に京子さんも加わるようになった。

旧島民の子孫であっても、硫黄島への渡島は制限されている。自由な墓参は許されていない。遺骨収集期間中は3日前後の休息日があった。休息日に、団員たちは宿舎で休んだり、書きためた日記を整理したり、洗濯したりするなど思い思いの1日を過ごす。二人以上の団体行動であれば、外出も許された。楠きょうだいの場合、休息日のうちの1日を利用して墓参りをする。それが恒例だった。

上陸5日目。休息日の朝。楠きょうだいが宿舎の玄関で出かける準備していた。行き先を尋ねると、墓参に行くとのことだった。同行したいと伝えると、快く受け入れてくれた。

向かった先は、ジャングルだった。

かつて「東部落」と呼ばれた地域だ。林道のような未舗装の道路から20メートルほど入った所。そこに「高橋家」の5人が暮らしていたのだ。5人とはつまり、楠きょうだいの祖父母と、幼かった母、伯母、叔父だ。

高橋邸の跡地が見つかったのは2014年。明博さんが小笠原村主催の墓参事業で硫黄島に渡った時に発見した。決め手となったのは近所に住んでいた旧島民の女性の証言だった。女性の子孫が同じ墓参に参加し、一緒に「東部落」を探索した際に、証言通り、高橋邸の水槽が見つかったという。

その後、住宅部分の基礎や、別棟にあった風呂、トイレも見つかった。辺り一帯から、薬品の小瓶も大量に落ちていたことから、高橋邸は野戦病院として使用されたと推察された。