酒蔵は全壊…それでも前へ 日本酒に込めた決意 能登半島地震から8か月
能登半島地震から8か月。脇固市の酒蔵が全壊し、他の酒蔵で酒を醸造。震災を免れた日本酒を楽しむ会が開催。
中島酒造の杜氏が震災後の酒造りの苦労を語り、救いの手を差し伸べた仲間の酒蔵の協力を受けたことを明かす。
震災を乗り越え、復興の一歩を踏み出した中島酒造の日本酒が味わい深いと賞賛される。
能登半島地震から8か月。石川県輪島市の酒蔵も震災で建物が全壊するなどの大きな被害を受けました。仲間の酒蔵を間借りして、ようやくできあがった日本酒と、震災を免れたラベルのない日本酒。思いの詰まった酒を前に語ったこととは─。
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酒を酌み交わし、賑わう店内。能登の食材を扱う神奈川の飲食店「奥能登や」で9月1日に行われたのは、震災後につくられた能登の日本酒を飲む会です。
「本日は日本酒の会にお集まりいただき、ありがとうございます」
酒を造った杜氏も参加しました。輪島にある中島酒造の中島遼太郎さんです。
中島酒造 杜氏・中島遼太郎さん
「楽しんで召し上がってください。きょうはよろしくお願いいたします」
中島酒造 杜氏・中島遼太郎さん
「お酒を(直接)出せる機会が、今のところ震災以降なかった。楽しみにしていました、ずっと」
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8か月前に能登半島を襲った最大震度7の地震。明治から代々受け継がれてきた中島さんの酒蔵も全壊しました。
中島酒造 杜氏・中島遼太郎さん(今年1月)
「目の前にがれきが転がっていて、ちょっとでも助かるものがあればと出しているだけで、頭パンパンの状態」
なんとか救い出すことができたのは、日本酒の原料となるお米です。地震から1か月後、中島さんに救いの手をさしのべた酒蔵がありました。同じ石川の酒蔵、東酒造の東さんです。被災した同業者の役に立ちたいと中島さんに声をかけたといいます。
救い出した米をもとに、震災後はじめての酒造りに挑んだ中島さん。
中島酒造 杜氏・中島遼太郎さん
「地震以降、気持ちは沈んでいる状態。声をかけていただいて、一緒にずっとやりたかった、酒造りをできる環境をいただけて、ありがたくてしょうがない」
東酒造 東祐輔社長(話)
「遼太郎くんのいいところも私らは教えてもらった。両方の酒蔵の味のレベルが上がったと思う」
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中島酒造 杜氏・中島遼太郎さん
「すっきりとした辛口で、香りもすごくよくておいしい」
震災後はじめてできた中島酒造の日本酒。直接お客さんの元へ。