櫻井翔さんがたどった親族の戦争 軍歴照会「衝撃的でした。戦死という2文字が」

AI要約

櫻井翔さんが、戦争をテーマにしたドラマ出演をきっかけに大伯父の戦死を知り、軍歴を調査する過程を追う。

厚生労働省から取り寄せた軍歴により、大伯父の学歴や海軍での昇進過程が明らかになる。

西日本新聞のキャンペーン報道「うちにも戦争があった~あなたの家族の軌跡~」に賛同し、櫻井さんが特集記事に登場。

櫻井翔さんがたどった親族の戦争 軍歴照会「衝撃的でした。戦死という2文字が」

 幼い頃から、何となく気になっていた。祖父母宅を訪ねるたびに目にする軍服姿の若い男性の写真が。祖父の兄だということしか聞いたことはなかった。活動休止中の人気アイドルグループ「嵐」の櫻井翔さん(42)が、その大伯父と自身を結び付けるようになったのは10年ほど前のこと。戦争をテーマにしたドラマに出演した際、関係者に質問されたのがきっかけだった。櫻井さんも遺族ですか-。あの写真が、とっさに頭に浮かんだ。

 「大伯父には会ったこともないし、写真で見たことがあるだけ。でも、僕も遺族かもしれないって急に思い始めて」

 群馬県の祖父母宅。いつも泊まる和室にその写真はあった。額入りの表彰状のようなものと靖国神社の写真、そして「海軍主計少佐 桜井次男 昭和20年3月29日 東支那海にて戦死」の文字も。大伯父について分かるのはそれくらい。ドラマの監修に携わる専門家に伝えると、軍人の個人履歴「軍歴」が保管されていることを教わり、こつこつと調べ始めた。

 「驚きだったんですよ。記録が残っているなんて夢にも思っていなかったので」

 厚生労働省から取り寄せた軍歴には多くの情報が記載されていた。1942年9月、東京帝国大(現東京大)を卒業して商工省(現経済産業省)に入り、4日後には海軍士官に。翌年に中尉、その翌年に大尉と役職が上がる。輸送船を護衛する海防艦を何隻か乗り換え、最後は真っ赤な字で「戦死」。

 「生きた歩みを目で追っていって、突如、奈落に突き落とされたような。衝撃的でした。戦死という2文字が」

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 軍歴資料などの「記録」と家族に伝わる戦争の「記憶」を照らし合わせることで、歴史に埋もれた親族の姿や戦争の実相を浮かび上がらせる西日本新聞のキャンペーン報道「うちにも戦争があった~あなたの家族の軌跡~」。趣旨に賛同した櫻井さんがインタビューに応じ、79回目の終戦記念日となった8月15日付の西日本新聞に特集記事を掲載した。(森井徹)