「爆死」「玉砕」初めて接する身内の死因…涙ぐむ人も 増加傾向の軍歴照会

AI要約

軍歴資料は戦後79年の今でも重要であり、申請者は主に孫やひ孫世代になっている。厚労省には年間約1600~1700件の申請があり、親族が故人の新事実を知り驚くこともある。

福岡県や佐賀県でも軍歴資料の交付申請が増加しており、申請者の多くは元軍人・軍属の子や孫。一方、軍歴資料が失われたり不完全な形で残っているケースも存在する。

申請が多い時期は夏から秋で、厚労省や地方自治体は全ての申請に誠意を持って対応している。申請者の気持ちを大切にし、部署全体で対応している。

「爆死」「玉砕」初めて接する身内の死因…涙ぐむ人も 増加傾向の軍歴照会

 軍人・軍属(旧陸海軍の非戦闘員、従軍看護婦、国策会社の南満州鉄道=満鉄=職員など)の足取りを記した軍歴は戦後、本人や遺族が恩給や年金を受ける際の証明として照会されることが多かった。戦後79年の今、申請者の多くは孫やひ孫世代。“ファミリーヒストリー”をたどる重要な手掛かりとなっている。

 軍歴資料には、兵籍簿や死没者原簿、身上申告書などがあり、本人の本籍地があった都道府県庁が旧陸軍の資料を、厚生労働省は主に旧海軍の資料をそれぞれ所管している。

 約25万冊の軍歴資料を取り扱う厚労省には、毎年2千人近くの親族から交付申請が寄せられる。昨年までの過去10年で申請件数が最も多かったのは、戦後70年の節目だった2015年度の2566件。担当者は「メディアや映画などで先の戦争が取り上げられる機会が増えると、申請件数も多くなります」。20年度以降は年間約1600~1700件で推移している。

 福岡県庁の保護・援護課では、元軍人・軍属の子や孫を中心に、おいやめい、ひ孫らが交付を受けるために窓口を訪れる。高齢の親族の代わりに、ひ孫が来庁することもあるという。

 戦地での凄惨(せいさん)な体験を周囲に語らず亡くなった人は多く、親族が軍歴資料で故人の新事実を知って驚くこともある。「銃弾貫通」「爆死」「玉砕」…。初めて接する身内の死因に、窓口で涙ぐむ人も。シベリアでの抑留期間の長さに胸を痛めたり、遺骨すら帰らなかった故人の仏壇に軍歴資料を供えたりする人もいる。

 受け取った軍歴資料を手に、職員に故人の思い出を語ったり、「生前の姿を知るのは私たちの世代が最後。きちんと語り継ぎたい」と決意を述べたりする人もいる。福岡県の担当者は「戦時中の足跡を知りたいという思いと同時に、そのことを誰かと共有したい気持ちが強いのでは」と話す。

 佐賀県では郵送での申請が多く、申請者の半数ほどが元軍人・軍属の子どもで、他はおいやめい、孫という。23年度の申請件数は前年度の1・6倍。福岡県でも今年に入って増加傾向にあり、いずれも本紙が元日から始めたキャンペーン報道「うちにも戦争があった」の影響があるという。

 一方、軍歴資料が失われていたり、記載内容が読めないなど不完全な形でしか残っていなかったりするケースもある。福岡県では担当者が、小さな文字がびっしり並ぶ兵籍簿の内容を、手書きの地図を示しながら解説することもある。

 厚労省では、例年夏から秋にかけて申請が多い傾向があるといい、担当者は「時代とともに用途は変わったが、大切な資料であることに変わりはない。全ての申請に誠意を持って対応したい」。福岡県の担当者も「申請が増えて部署全員で対応している。通常より交付まで日数がかかるが、大事な人のことを思う申請者の気持ちをくみ取れるように努めたい」と話した。