“昭和99年”語り継ぐ 家族が語る復員兵の『PTSD』 「みんなで死のう」戦争のトラウマで家族に向けた狂気「根っこは戦争。みんなの問題なんだ」 精神異常で入院した日本兵は約1万人

AI要約

戦争から帰還した復員兵たちが抱えるトラウマを家族が語り始める。

古本石松さんは、海軍に所属しシベリアで3年間の抑留経験を持つが、帰国後は家庭内での暴力を振るい続けた。

藤岡美千代さんは、父の戦争体験に伴う心の傷が、家族に及ぼす影響を証言する。

“昭和99年”語り継ぐ 家族が語る復員兵の『PTSD』 「みんなで死のう」戦争のトラウマで家族に向けた狂気「根っこは戦争。みんなの問題なんだ」 精神異常で入院した日本兵は約1万人

戦争が終わり、生きて帰れたのに、心に傷を負った復員兵たち。

彼らの多くは、家族にその狂気を向けました。

壮絶な経験をした家族たちが語り始めた、知られざる「戦争トラウマ」の現実です。

家の階段に飾られた家族写真の中で、1つだけハンカチがかけられた写真があります。

大阪市東淀川区でカフェを営む藤岡美千代さん(65歳)は、今は亡き父親の写真を、直視することができずにいます。

【藤岡美千代さん】「(父の写真は)まだちょっと見られないですね。まだまだそういう記憶の方が、実際に体に受けた痛みの方が思い出される」

【藤岡美千代さん】「夜中にガバっと父が起きだして、子供の寝ている布団をはいで、敵をやっつけるぞって顔で、大魔神みたいに目が吊り上がって、私とか兄がつかみあげられて柱に投げられたりとか、踏みつけられたりとか」

藤岡さんの父、古本石松(ふるもと・いしまつ)さんは、鳥取県の農家出身で、21歳の時に召集され、海軍に配属されました。

終戦の時に所属していたのは、千島列島にある航空基地。ソ連軍によって、極寒のシベリアにおよそ3年間抑留されました。

復員後に生まれた藤岡さんにとって父親は、酒浸りで、定職にもつかず、家で暴れてばかりの存在でした。

【藤岡美千代さん】「私を正座させて、『お父ちゃんはな、トラックの運転をしながら、敵の砲弾の中、救援物資を運んだんや』って言う」

「で、そうかと思うと、雨が降ると、部屋の隅っこでガタガタ震えながら『あいつが殺しに来る』って」

「突然夜、私と兄を起立させるんです。『起立!』ビシっ!って、軍隊みたいな感じですね。ピシっと立たせて、『起立』って言うんですよ。私と兄がピシッてすると、台所のプロパンガスの栓を開けて、シューってガスが出るんですよ。それをすると、お父ちゃんは『みんなで死のう。みんなで死ぬんだ』って言って。私の中では『心中ごっこ』ってネーミングしてるんですけど」

「そしたら母が半狂乱になって、『死ぬんだったらお前だけ死ね』って、ガスを止めに行くんですね」