「読める方、いますか?」玉音放送を聞いた21歳の祖母の日記を解読…大正から令和に伝わった“温度と色彩”

AI要約

emyuさんが祖母の日記をXに投稿し、終戦当日の感情が明らかになる。

日記からは祖母の強い意志や未来への希望が伝わり、読解を通じて祖母の気持ちに触れる。

emyuさんは祖母の日記を公開して喜び、平和な時代の継続を祈る。

「読める方、いますか?」玉音放送を聞いた21歳の祖母の日記を解読…大正から令和に伝わった“温度と色彩”

 「拡散希望 読める方いらっしゃいませんか?」

 8月15日、Xに投稿された1枚の画像。この呼びかけを行ったのは、バイオリニストとして活動するemyuさんだ。

 「私の亡くなった祖母が遺したものを整理していた時に日記帳を見つけ、その中に1945年の8月15日、“終戦の日”に相当するものがあった」

 日記には「君が代」「玉音」などと記されており終戦に関する文章であることはわかるものの、古い文体が使われており、全ての内容を理解するのは難しかった。そこで、emyuさんはXで読み解ける人を探すための投稿を行ったのだ。

 すると、解読に挑戦する人が続々と現れ、その内容が明らかになっていった。

 「今日正午に聖上陛下の放送があるから…と、前の永井さんのおばさんがわざわざ知らせて下さる。十二時が鳴った。一同静粛裡に起立、おごそかな“君が代”の音につれて、この世に生を享けて初めて拝する玉音、かん激に涙はほほを伝わる。」(解読された日記 訳 清瀬市議会議員・城野けんいち氏)

 日記には、戦争の終わりを告げる玉音放送を聞くまでの経緯や周囲の状況、そしてその時の感情が綴られていた。

 「知らなかった。何もかも知らなかったのだ。休戦の御聖断は下されたのだ。何と言ってよいやら…。私たち一億の生命を與かるとでも申さると思っていたのに。夢の様だ。でも確かに戦はこの正午でやんだのだ。」

 当時21歳だった祖母が終戦当日に抱いていた思いが生々しく記されていた。emyuさんは…

 「私たちが普段話すような言葉に訳された日記を読んだとき、急に祖母の言葉が温度と色彩感を持って目の前に浮かび上がってきたように感じた。それを経て、ようやく祖母が本当に伝えたかった熱量のようなものが私の中に入ってきた」

 日記は以下のように「敗戦を糧に新たな日本を再建する」という決意で締めくくられていた。

 「堪えがたきを堪えしのんで新日本建設のため起とう。そして子々孫々まで、この八月十五日を胸の奥に銘記すべく忘れず、きっとこの仇を打とう。」

 emyuさんは祖母の日記について「まず最初に『おばあちゃん、プライベートの日記を公開してごめん!』という気持ちだ。そして、たくさんの方々が『おばあちゃんはこんな気持ちだったのでは?』などと祖母の気持ちに寄り添ったり、共感してくれたことが嬉しく、おばあちゃんも喜んでくれているはずだ。ずっとこの平和な時代が続くように、天国から見守っていてほしい」と話した。