【フィリピンの中華街と華僑ビジネス】世界最古のチャイナタウンと言われているのがマニラ中華街

AI要約

マニラは世界最古のチャイナタウンを持ち、スペイン領時代から華僑ビジネスが栄えていた。

16世紀から250年間、マニラはアジア~新大陸~スペインを結ぶ重要な貿易拠点として栄え、華僑が活躍した。

現代のマニラ中華街は華僑財閥から屋台までさまざまな華僑が暮らし、フィリピンと中国の関係も複雑に絡み合っている。

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 世界中にチャイナタウンがあるが、フィリピンで見聞した中華街と華僑ビジネスについて記したい。

 世界最古のチャイナタウンと言われているのがマニラ中華街。スペイン人のマニラ港防衛拠点であった城塞都市イントラムロスの対岸に位置するビノンド地区。ここには大陸と交易する中国商人が以前から居住していたが、1592年スペインの総督がカトリックに改宗した中国人居住区として正式に指定した。

 16世紀から約250年間、マニラはアジア~新大陸スペイン領~スペイン本国を結ぶ貿易航路の重要拠点であった。アジア各地~マニラ~グアム~アカプルコ~陸路メキシコ横断~ベラクルス~スペイン本国が当時最も安全で効率的な交易ルートだったようだ。

 新大陸の銀がアカプルコ~マニラ~中国へ流れ、中国からは絹・陶磁器・工芸品などが新大陸さらにスペイン本国へ送られた。同様に東南アジアの香料、インドの綿織物もこのルートで新大陸・スペインに送られた。中国各地からマニラへジャンク船が運んだ中国産品を売買したのがマニラの華僑であった。

 2023年7月。マニラ中華街を歩いた。横浜中華街よりもかなり広い地域に銀行・保険・運輸・貿易などの華僑系企業、中華食材・漢方医薬・貴金属宝飾・機械・雑貨などの卸問屋・商店が雑居。そして中華料理屋も。フィリピン経済は華僑財閥が支配しているが、マニラ中華街には財閥から屋台のオヤジまで大小さまざまな華僑が集まっていた。

 政府官公庁のあるイントラムロスと、中華街のあるビノンド地区の間を流れるパッシグ川には“フィリピン・中国友好橋”が、中国によりほぼ完成していた。中国と微妙な蜜月関係を維持していたドゥテルテ政権時代の産物だ。その後、南シナ海での領海を巡ってマルコス・ジュニア大統領は中国との対決姿勢を鮮明にした。フィリピンの華僑は当然のことながら大陸との関係を上手く維持していることだろう。