追われたら次の場所へ…強制撤去だけでは変わらぬホームレスの人々の現実 支援者「“戻れない人達”が多い」

AI要約

ホームレス支援の課題と現状について、名古屋市を中心に取材。

高齢のホームレスカメイさんの生活や病気との闘いを紹介。

過去の名古屋市とホームレスの衝突事例を振り返り、課題を浮き彫りに。

追われたら次の場所へ…強制撤去だけでは変わらぬホームレスの人々の現実 支援者「“戻れない人達”が多い」

路上で暮らすホームレスの人々について厚生労働省は2024年4月、全国最少の2820人になったと発表した。しかし、ネットカフェで寝泊りするなど、数字には表れない貧困層も多く、実際には国が発表した人数の倍以上とする支援者もいる。名古屋でホームレスの現状を取材した。

名古屋市中区の名古屋高速の高架下に、ブルーシートのテントを張って暮らしているカメイと名乗る80歳の男性。2024年6月、取材に応じてくれた。カメイさんは集めたアルミ缶を売ったり、支援者の協力で年金も受け取っている。

カメイさんは東京などで大工をしていたが不況で職を失い、名古屋にやってきたという。ここで20年以上、暮らしていたが、この時、立ち退きを求められていた。

カメイさん:

立ち退きだから困ってんだよ。工事始まるから今月中に出ていかないと。

名古屋高速の工事に伴い、6月中に立ち退きを求められているが、カメイさんはアパートを借りられない事情があるという。

カメイさん:

俺、がんがね。大腸がんから始まって胃がん、膀胱がんまできてるからさ。アパートに入りたいけど金がない。

闘病中で部屋を借りる余裕がないという。

名古屋の中心部を走る若宮大通と名古屋高速の高架が重なる、およそ3キロの区間には多くのホームレスの人々が暮らしている。行政側とは過去にトラブルが繰り返されてきた。

1997年8月には若宮大通公園にあった木製遊具「冒険とりで」をめぐり、大規模な衝突が起きた。

名古屋市は、高速の耐震工事のため「冒険とりで」に寝泊りしていた数十人のホームレスの強制退去に着手したが、ホームレスや支援者と激しいもみあいとなり、警察も出動する事態となった。

当時はバブル崩壊で、建設業などの日雇い労働が激減していた。衝突の現場にいたというホームレスの男性は、当時の名古屋市側とのやりとりを明かした。

当時の現場にいた男性:

簡単な仕事でも結構です。草むしりでもいいです。誰でもできる、誰でも参加できるような仕事を作ってくれと。ところがその答えは「NO」だったんです。だったらここを明け渡すわけにはいかないと。

結局、ホームレスの退去とともに「冒険とりで」は撤去された。しかし、ホームレスたちは近くに住まいを移しただけで、問題の解決にはならなかった。