突如現れた「クマ」に逃げ惑う観光客…「怒号・悲鳴・クラクション」バスターミナルをパニックに陥れた“襲撃事件”

AI要約

2009年9月、北アルプスの乗鞍岳で観光客がクマに襲われる事故が発生。石井恒夫さんがクマに襲われた経験を振り返る。

石井はクマに助けに行き、女性を救出しようとするが再度襲われ、重傷を負う事態となる。

石井は左目を失い、左腕を危うく失う重傷を負いながらも、何としても抵抗しようとする様子が描かれる。

突如現れた「クマ」に逃げ惑う観光客…「怒号・悲鳴・クラクション」バスターミナルをパニックに陥れた“襲撃事件”

近年、全国各地でクマが人を襲う事故が多発している。環境省によれば、昨年(2023年)のクマによる人身被害件数は198件で、統計開始以来もっとも多かったという。

被害に遭った人々は、いかにしてクマに遭遇し、何を思ったのか――。本連載では、近年の事故事例を取り上げ、その実態に迫る。

今回紹介するのは、2009年9月、北アルプス・乗鞍(のりくら)岳の畳平駐車場に突然現れた1頭のクマが観光客を次々と襲った事故。なお乗鞍岳は、3026mの主峰「剣ヶ峰」まで駐車場から1時間半ほどで登れることから、初心者でも比較的挑戦しやすい登山スポットとして知られている。(全5回)

※ この記事は、山登りやアウトドアのリスクについて多くの著作があるフリーライター・羽根田治氏による書籍『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』(山と渓谷社、2017年)より一部抜粋・構成。

今でもときどき夢を見ることがある。真っ黒い大きなものが、大きな口を開けて襲いかかってくる夢だ。 恐怖で飛び起きると、全身が汗でびっしょりと濡れている。 あのときの光景はくっきりと脳裏に焼き付き、決して消えることはない。

石井恒夫(66歳)が50~70代の友人16人と乗鞍高原へ遊びにいったのは、2009(平成21)年9月のことである。 石井らは会社のワゴン車を借りて18日の晩に横浜を出発、諏訪SAで休憩をとり、翌19日に畳平へと向かった。

石井が乗鞍岳を訪れるのは、このときで5回目だった。畳平バスターミナルから15分ほどで登れる魔王岳からの眺望が素晴らしく、気に入って何度も足を運んでいたのだ。

登山は中学2年生のときに尾瀬の燧ヶ岳(ひうちがたけ)と至仏山(しぶつさん)に登ったのが最初で、社会人になってからもトレーニングがてら年に何度か丹沢の山々を歩いていた。ときには会津磐梯山や白馬岳など地方の山に登ることもあり、富士山にも5回登っていた。

畳平到着後、17人中14人は畳平周辺を散策し、石井を含めた3人が魔王岳へと向かった。

異変が起きたのは、遊歩道を登りはじめた直後の午後2時20分ごろのことだった。後方から「クマが出たぞ」という声が上がり、続けて「助けて!」という女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。それまで畳平にクマが出るなんて考えもしなかったが、助けを求める声を聞いて、とっさに体が反応した。

「お、クマが出たらしいぞ。俺、助けにいってくる」

友達にそう言って遊歩道の階段を下りはじめた。友達は「おい、やめとけ」と止めたが、人を助けるのが先決だと思って聞かなかった。

現場までの距離は約20メートル。着いてみると、うつ伏せに倒れている女性の背中にクマがのしかかっていた。周囲にはたくさんの観光客や登山者がいて、石を投げつけてクマを引き離そうとしていた。石井も石を投げながらクマに接近し、来るときに高速道路のサービスエリアで買い求めていた杖でクマの鼻っ柱を殴りつけ、目を突こうとした。そのときの心境を、石井は「女性がクマにやられているのを見ていられなかった」と振り返る。

攻撃を受けたクマは女性から離れたので、石井は「早く岩陰に隠れな」と女性に告げて自分も逃げようとした。

しかし、次の瞬間にはもう石井の目の前でクマが仁王立ちになっていた。四つん遣い状態のクマは小さく見えたが、立ち上がったクマの前脚は石井の頭の上にあった。その素早さと大きさに驚く間もなく、左前脚で頭部に一撃を食らった。

「その一撃で右目がぽろっと落っこっちゃって、上の歯もなくなりました」

激痛のあまりその場に倒れ込んで左手で顔を覆ったら、今度はクマが上からのしかかってきて、左腕に噛み付かれた。そのまま頭を左右に激しく振ったため、左腕が千切れそうになった。石井は右手に握っていた杖で必死に抵抗していたが、次第に意識が遠のいていき、その後のことはまったく覚えていない。