三島由紀夫の妻が説得 経団連襲撃事件 警視庁150年 65/150

AI要約

昭和52年3月3日、東京・大手町の経団連会館に財界の「経済至上主義」をただす「檄文」をたずさえ、猟銃や刀を持った男4人が押し入った。

野村秋介を含む男たちは経団連を占拠し、会長との通話を要求するも拒絶。最終的に警察の説得により投降するまで10時間の籠城事件が発生した。

バブル景気時代、事件に関与した野村は服役後自殺。彼の行動は右翼の財界人暗殺という歴史背景とも結びついていた。

三島由紀夫の妻が説得 経団連襲撃事件 警視庁150年 65/150

昭和52年3月3日、東京・大手町の経団連会館に財界の「経済至上主義」をただす「檄文」をたずさえ、猟銃や刀を持った男4人が押し入った。

男の1人が野村秋介(1935~93年)。日本の民族派運動に異色の足跡を残した人物だ。昭和38年には当時の建設相、河野一郎の自宅に放火。12年の服役を終えた野村に「戦後的風潮」打倒の「最も象徴的なターゲット」(野村『獄中十八年』)と映ったのが経団連だった。

人質を取った野村らは出張中の土光敏夫会長と通話させるよう求めたが拒絶された。警視庁は45年に自刃し、民族派から尊敬を集めた作家、三島由紀夫の妻に4人を説得させる。約10時間の「籠城」の末、4人は投降した。

団琢磨や安田善次郎など、戦前は右翼による財界人暗殺が相次いだ。だが、児玉誉士夫のロッキード事件への関与が伝わるなど、戦後の右翼には「財界の手先」との風評がつきまとった。そこに発生した事件に、同年の警察白書は右翼が「『右翼の本質である反体制、国家革新の原点へかえろう』とする姿勢を一段と強めるに至った」と総括した。

1980年代の日本はバブル景気に突き進む。経団連事件で6年間服役した野村は、バブルの余燼(よじん)くすぶる平成5年、朝日新聞社で「常々刺し違える覚悟で朝日の報道姿勢と闘ってきた」と言い残して拳銃自殺した。58歳だった。(内田優作)