【毒親は優しさに甘える】親孝行な息子を一発で「うつ」に追い込んだ、母親の“なにげない”ひと言

AI要約

父が亡くなった後、おひとりさまになった母親が息子をうつに追い込むまでの実例。

息子が介護によるストレスで生活が狂い始め、介護離職も考えるようになる。

父の急逝後、母の様子がおかしくなり、息子は再び都内に引っ越す。

【毒親は優しさに甘える】親孝行な息子を一発で「うつ」に追い込んだ、母親の“なにげない”ひと言

 父が亡くなった後、おひとりさまになった母親は子どもの人生を狂わせた。会社員の息子(40代)をうつに追い込んだ母親とご近所さんの会話とは。介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんに「親子が共倒れする毒親介護」の実例と予防策を聞いた。(取材・文/ジャーナリスト 村田くみ)

● 父を失った母の悲しみで 実家はゴミ屋敷に

 シングルライフを謳歌していても40代にさしかかると「そろそろ結婚をしてプライベートでも充実させたい」と思ってくるだろう。都内に住む会社員のD男さん(40代)もそう思っていた。

 職場ではチームリーダーの役割を担い、仕事中心の日々を送っていた。40代に入り「結婚をしたい」から「しなければ」と思い始めた矢先、離れて暮らす父(70代)が脳梗塞で倒れた。一命は取りとめたものの右半身が不自由になり、母が今まで以上に父の身の回りの世話をするようになった。

 「D男さんのお父さんは、介護保険のサービスを使ってデイサービスに週2~3回通う生活を送っていましたが、自宅にいるとき、お母さんはお父さんのトイレの介助や食事の世話など、付きっきりでサポートしなければならず、いつも『大変だ』と言っていました。D男さんは一人っ子で親思いなので、両親を心配して北関東の実家に週末に帰省することにしました。それが、人生の歯車が狂い始めたきっかけでした」(太田さん)

 週末に実家に帰省して、土日はお母さんと一緒に父の介護をするようになり、日曜の夜に東京に戻る、といった生活が始まった。ところが、次第に母がD男さんに頼るようになり、帰るたび「疲れてしんどい」とこぼすようになった。

 「一人息子のD男さんは、東京の家を引き払い、実家から会社に通うようにしたのです。今までは通勤時間は片道1時間程度だったのが、2時間半にもなってしまいました。特急列車に乗ることもできましたが会社は補助してくれませんので、特急料金は自腹。仕事帰りには職場の同僚とよく飲みに行っていたのを断るようになって、週末に友達と遊びに行くこともできなくなってしまったのです」

 午前9時の始業前には職場に着くように、朝5時に起床して6時に自宅を出る。仕事は内勤だが午後5時の終業時間ちょうどには退社できない。どうしても30分~1時間ぐらい仕事を終わらせるのに時間かかってしまう。2時間半かけて自宅に着くのは20時半頃、といった毎日が始まった。夕食は自宅に帰ってから食べるのでは、空腹に耐えられないので乗り換えのときに駅構内の立ち食いそば屋などで済ませることが増えた。

 「自宅に帰ってからは入浴を済ませて、夜はお父さんのトイレ介助などをしたそうです。そして、朝起きるとおむつ交換をしてから出かける。会社と自宅の往復だけの生活で、土日に自宅でリラックスしたいと思っていても、お母さんのグチばかり聞かされるので、ストレスが溜まってきてしまったのです」

 実家で介護をする生活が2年ほど続き「介護離職」が脳裏をよぎった頃、父が急逝した。葬儀が終わった後、D男さんはまた都内に引っ越して一人暮らしを始めたが、それから母の様子がおかしくなってきたという。