魔よけの神獣・白沢、福島で多数“出没”の謎 寺社彫刻8体確認

AI要約

福島県で多くの白沢像が見つかった話。白沢は牛の体に人間の顔を持ち、「モノノケの撃退法」を知る神獣。江戸時代から魔よけや病よけとして広く信仰されてきた。

福島県内の川俣町や福島市などで複数の白沢像が見つかり、年代や特徴が明らかになっている。他地域では少ないが、福島では多数見つかる理由も考察されている。

福島県だけでなく、他地域にも白沢像が存在する可能性がある。研究が進行中であり、白沢に関する新たな発見が期待されている。

魔よけの神獣・白沢、福島で多数“出没”の謎 寺社彫刻8体確認

 「白沢(はくたく)」を知っているだろうか? 牛のような獣の体に人の顔が付いたひげもじゃの神獣で、「あらゆるモノノケの撃退法を知っている」というすさまじい能力を持っている。白沢をかたどった寺社彫刻は全国でも数が少ないとされてきたのだが、福島県ではなんと近年の調査で少なくとも8体の存在が確認された。なぜ白沢は福島に多数“出没”しているのか?

 ◇魔よけの獣

 古代中国の伝説上の君主・黄帝が出会ったと伝えられる白沢は、天下のあらゆるモノノケの知識に通じ、その撃退法を知っているとされ、徳の高い政治家の治世に出現するとも伝えられている。

 9世紀までに日本に伝わったとみられる白沢は、もともと中国では麒麟(きりん)や獅子に似た姿をしていた。しかし、国内では独自の変遷をたどり、「あらゆるモノノケの撃退法を知っている」との特徴から江戸期には“魔よけ”や“病よけ”のお守りとして人面牛身でひげもじゃの白沢の絵が出回った。

 近年でも新型コロナウイルス禍には“コロナよけ”としてその姿がSNS(ネット交流サービス)で拡散。畠中恵さんの小説「しゃばけ」や江口夏実さんの漫画「鬼灯(ほおずき)の冷徹」、PCゲーム「東方Project」などの人気シリーズにも登場するので、「顔と体の側面と合わせて九つの目を持つ」「頭や背中から角が生え、宝珠(ほうじゅ)を乗せている」といった不思議な姿を目にしたことがあるかもしれない。

 ◇中通り、浜通り、会津にも

 福島県ではこれまで、県北部の川俣町で、1740(元文5)年に完成した春日神社(同町宮前)の社殿に存在する2体の白沢像が知られていた。こま犬のように片方が口を開き片方が口を閉じた「阿吽(あうん)」一対の木像で、昨年9月には金沢学院大の佐々木聡准教授(宗教文化史)が現地調査を実施。その後、有志のさらなる調査によって、白沢のさまざまな寺社彫刻が県内に存在することが明らかになってきた。

 春日神社から南へ1・5キロほどに位置する東福沢薬師堂(同町東福沢)には、素朴でどこかユーモラスな印象さえ受ける白沢像が1体あった。参道から向かって左側の柱に彫刻された獅子と阿吽の対になっているようにも見える。修繕記録「棟札」の写しによれば、1816(文化13)年に造られたとみられる。

 福島市の水雲(すいうん)神社(同市大波上屋敷)でも頭に宝珠を乗せた2体が見つかった。特徴の一つである額の瞳は確認できないが、「額や体に眼がない白沢は九眼以前の古い形式で、19世紀の例もあり、白沢と見なしてよい」(佐々木准教授)。詳細は調査中だが、由緒書きには1844(弘化元)年の本殿建立と記されている。

 県南部のいわき市に建つ八剣神社(同市平下高久馬場)にも一対の白沢像があった。本殿には他にも多様な吉祥のシンボルが彫刻され、記録では1798(寛政10)年に現在の社殿が建てられた。

 また、会津美里町にある国重要文化財・福生寺観音堂(会津美里町冨川冨岡)の正面でも、レリーフ状の眼光鋭い白沢がいた。裏面の背中部分にも太い眉をたくわえた三つ目がぎょろり。墨書から1750(寛延3)年に取り付けられたとみられる。

 ◇なぜ福島に?

 全国を見ると、寺社関連の白沢の彫刻はいずれも17世紀に造られたとみられる四天王寺(大阪市)、五百羅漢寺(東京都目黒区)などが知られている。しかし、龍や麒麟といった他の神獣と比べると白沢の姿を寺院や神社で見かけることは圧倒的に少ない。その理由について佐々木准教授は「白沢は中国では官服や軍旗のデザインに使われ比較的“フォーマル”な存在として扱われるが、日本では民間レベルでの魔よけとして広がるなど“俗”な側面が強く、寺社彫刻の数が少ないことにも影響しているのでは」と指摘する。

 そんな白沢がなぜ福島では見つかるのか? 謎は多いが、例えば白沢像が見つかった寺社が建つ川俣町や福島市大波は、過去に大規模な農民一揆が発生した地域だ。調査する川俣町歴史・文化係長の吉田秀享(ひでゆき)さん(63)は「白沢が『徳の高い政治家が治める世の中に出現する』と伝わることから、『立派な君主が現れますように』との願いを込めたとの見方もある。その土地を治める代官や彫刻師同士のつながりなど、白沢がどのように広がっていったのかについても研究の余地があり興味深い」と話す。

 白沢の寺社彫刻を巡る調査は現在も進行中だ。佐々木准教授は「この短期間でこれだけの数が確認されており、まだ気付かれていないだけで他の地域でも見つかるかもしれない」と研究の進展に期待した。

   ◇  ◇   

 探せばまだまだ白沢は見つかるかもしれない。記者の私自身、その思いを強くしたエピソードがある。

 5月下旬、毎日新聞福島支局で別の取材の準備のために歴史本をめくっていると、正体不明の「翁の顔をした木鼻(突き出た装飾)」が福島市内に存在するとの記述が目に飛び込んできた。「これは!」と慌てて現地に向かうと、そこには頭に宝珠を乗せた、いかめしい人面牛身像が……。

 すぐに佐々木准教授や吉田さんに連絡を取って、白沢だと確認。これが今回紹介した水雲神社の2体だ。まさか車で15分ほどの距離にある神社に存在するとは。

 調べてみると、福島以外にも「これは白沢では」「白沢だと伝わっている」との寺社装飾が各地に点在することも分かってきた。珍しいとされる白沢だが、意外と今も私たちの近くでにらみを利かせているのかもしれない。【岩間理紀】