民間人”立入禁止”の「硫黄島」に上陸するにはどうしたらいいのか

AI要約

硫黄島での日本兵1万人の謎の消失の真相や、民間人の上陸禁止政策下での出来事が描かれたノンフィクションの話題。

著者が硫黄島への思いを初めて抱き、新聞記者としての経験からどうして硫黄島に興味を持つようになったのか。

著者が苦節13年をかけて硫黄島に上陸するまでの過程や決意、家族や志願する新聞社との関わりについて。

民間人”立入禁止”の「硫黄島」に上陸するにはどうしたらいいのか

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

僕は、時に、振り返る。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に上陸しようと、もがき続けた13年間のことを。僕の本職である新聞記者の仕事に追われ、ライフワークだと心に決めたはずの「硫黄島」への思いが弱くなったとき、僕はもがいた日々を振り返る。すると、再び初志は蘇る。チャンスを得て、遺骨収集現場を見た者の責任感が胸に広がる。毎朝、日の出前に起床し、妻と子供たちが起きないようにこの原稿を執筆している今もそうだ。僕は時に振り返り、そして「硫黄島」への志を強め、怠惰な自分を奮い立たせる。

上陸まで苦節13年。その起点は、前職時代(苫小牧市の地域紙)の2006年だ。遺骨収集 に老後の人生を捧げた戦没者遺児、三浦孝治さんと出会い、翌年2月に、三浦さんの遺骨収集体験記「矢弾尽き果て」を連載した。三浦さんのひたむきな姿に心を打たれ、僕も硫黄島の土を掘ろう、祖父の仲間とも言える硫黄島の兵士たちを本土に帰そうと、一念発起した。

しかし、苫小牧の記者のままでは、硫黄島への距離を縮めることは困難だと感じられた。

全国紙や、東京に報道拠点を置く新聞社に転職すれば、上陸の道が開けると考えた。僕の行動は、自分でも信じられないほど早かった。何かに、誰かに、導かれているようだった。

志望する新聞社の中で、採用試験が最も早かったのが北海道新聞社だった。1次試験を受けたのは、一念発起してから2ヵ月後の4月だった。2次試験の面接では「硫黄島に上陸取材したい」と正直に話した。面接担当者からその真剣度を問われた際に示せるよう、僕の鞄には連載記事のコピーを入れていた。

特異な志望動機は受け入れられた。採用内定の通知が届いたと三浦さんに電話で連絡すると、わが子の門出を喜ぶように祝福してくれた。