硫黄島で「不発弾」がごろごろと…日本軍の兵器「九九式破甲爆雷」など大量の爆発物が見つかった

AI要約

硫黄島での日本兵1万人の消失や不発弾の問題について、ノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』に触れたエピソード。

不発弾処理現場での様子や収集された爆発物の話、弾薬さんという自衛隊員の活動に焦点を当てる。

被験者の感情や現場での安全管理に対する注意にも触れ、硫黄島の遺跡収集作業のリアルな一面を描く。

硫黄島で「不発弾」がごろごろと…日本軍の兵器「九九式破甲爆雷」など大量の爆発物が見つかった

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

僕が硫黄島に渡る前に、最も危惧していたのは不発弾だった。

公的戦史『戦史叢書』によると、米軍が硫黄島上陸日に艦砲射撃で放った砲弾(5~16インチ)は3万8550発で、面積が50倍以上の沖縄戦は4万3335発とほぼ並ぶ。「いまだに不発弾がごろごろある。だから道路以外の場所には足を踏み入れてはいけない」。真偽不明ながらも、そんな恐ろしい情報が渡島前、僕の耳に入っていた。

硫黄島に渡ってからは在島の自衛官からこんな話を聞いた。「何年前だったか、夜中に宿舎で寝ていると、離れたジャングルの中から『ドーン』と爆発音が響いたことがあった。雨に反応したのか、風による振動のせいなのか、あれは不発弾の爆発の音だったと思う」。

実際、遺骨収集現場では不発弾が続々と見つかった。見つかるたびに団員が呼んだのは「弾薬さん」だ。

弾薬さんは、不発弾処理に対応する自衛隊員の通称だった。「化学さん」と同様、本土の駐屯地などから派遣され、収集団員の活動に同行する。土の中から見つかった銃弾や砲弾、手榴弾などを回収し、処理する役目を負う。この収集団に付き添ったのは二人だった。

「首なし兵士」の壕で捜索中の時のことだ。積み木のような四角い物体が次々と土中から出てきた。「何だろう」と皆で首をかしげながら、手から手へ渡した。

弾薬さんに確認したところ「九九式破甲爆雷」と判明した。日本兵が戦車を破壊するために抱えて突撃した爆発物だ。「本土で見つかったら住民避難などで大騒ぎですよ。間違いなく新聞沙汰です」と弾薬さんは言った。この収集団の派遣期間中に回収された爆発物は900個を超えた。

爆発物は自衛隊によって島内で爆破処理される。弾薬さんからそう教わったとき、複雑な思いを語った団員がいた。「これらって戦時中、庶民が鍋とか釜などを供出させられて作られた物ですよね。それが七十数年経て、人知れず爆破されて無に帰していく。当時の庶民の思いも一瞬にして無に帰すようで、なんだかむなしいというか、切ないというか……」。

不発弾を巡っては、こんなこともあった。遺骨収集作業後のミーティングで弾薬さんが、強い口調でこう注意喚起した。

「安全管理事項として提言します。明らかに不発弾であるものをですね、手渡しで渡す方がおられます。不発弾かどうか分からない物については仕方ないのですが、明らかに不発弾であるものを『これ手榴弾』『これ銃弾』といって自衛官に渡すのは止めてください。これは皆さんの安全のためですのでよろしくお願いします。以上です」

島に渡って間もないころの僕は不発弾が出るたびに、びくびくしていたが、多くの銃弾や手榴弾などに接するうちに、警戒心は薄れていった。この日の弾薬さんの注意喚起以降、僕は再び不発弾への警戒レベルを上げることにした。

つづく「『日本軍兵士の遺骨』の年齢をどう特定するか…硫黄島で見つかった『首なし兵士』の実態」では、現場で収容された数々の遺骨を分析する「鑑定人」の存在、彼らが遺骨の年齢などを特定する方法などについて掘り下げる。