日本兵1万人がいまだ「行方不明」何があったのか…遺族が長年唱えていた「一つの仮説」

AI要約

硫黄島での戦闘や遺品から見える日本兵の姿について述べられた内容。

遺族が家族への思いを込めて日本兵に渡した硬貨や千人針についてのエピソード。

物資不足や苦境にある日本兵が持っていた手榴弾の存在に関する記述。

日本兵1万人がいまだ「行方不明」何があったのか…遺族が長年唱えていた「一つの仮説」

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

出土品の中でも特に多い印象だったのは、朽ちた5銭と10銭の硬貨だった。

「強制疎開で島民がいなくなった後も、買い物できる場所があったんですかね」。そんな疑問を口にする団員もいた。

答えを教えてくれたのは遺族の男性だった。「5銭と10銭は、死線(4銭)と苦戦(9銭)を越えて無事に帰ってほしいという思いを込め、出征する夫や父に家族が託したものですよ。千人針に縫い込んだりしたんです」。

千人針とは戦時中、敵弾を避けるお守りとして兵士に贈られたものだ。兵士の妻や母などから協力を依頼された1000人が布きれに1針ずつ赤い糸で結び玉をつくり、完成させた。家族から贈られた兵士はそれを腹巻きのように腹部に巻いて戦った。千人針の布自体は風化して消滅してしまったのだろう。遺骨の近くから出てくるのは硬貨だけだ。僕はそれを親指と人さし指で挟んで拾い上げた。拾い上げるたびに指先から、妻や子供たちの悲しみが伝わってくる気がした。

遺骨と一緒に見つかることの多い物に手榴弾があった。いよいよ敵に囲まれた際に、自決するために大切に持っていたのだろう。手榴弾が土の中から出てくるたびに、もう少し掘ったら遺骨が出てくるのではないか、と期待感が高まった。手榴弾が破裂するかもしれない怖さは、そんな期待感にかき消され、やがて感じなくなった。硫黄島は、物資不足に陥った大戦末期の戦場だ。見つかる手榴弾は金属製ではなく、陶製のものが多かった。祖国を守りたくても、自決を強いられても、こんな粗末な物しか与えられなかったのだ。