99歳の悲しい記憶「爆音が蘇る。今の学生にそんな思いしてほしくない」終戦間際に投下された『模擬原爆』

AI要約

太平洋戦争の終戦間際にアメリカ軍が大阪に「模擬原爆」を投下した訓練を追悼し、現地で黙とうが捧げられる。

模擬原爆の被害にあった人々の証言や若者の反応が紹介され、過去の出来事に対する理解が広がる。

龍野繁子さんの訴えや中学生のコメントを通じて、模擬原爆投下の重さと次世代への願いが伝わる。

99歳の悲しい記憶「爆音が蘇る。今の学生にそんな思いしてほしくない」終戦間際に投下された『模擬原爆』

太平洋戦争の終戦間際、アメリカ軍の原子爆弾投下の訓練として大阪に「模擬原爆」が落とされました。

あの日から79年。

生き残った女性は、「今でも爆音が蘇る。今の学生にそんな思いをしてほしくない」と語りました。

79年前に「模擬原爆」が落とされた時間と同じ午前9時26分、大阪市東住吉区田辺では、およそ100人が会場を訪れ、黙とうを捧げました。

参列した人たちの中には、中学生など若者の姿もみられました。

当時、アメリカ軍は原子爆弾の投下訓練として、長崎の原爆と同じ型に、通常の火薬を詰めた「模擬原爆」を全国各地におよそ50発投下。

東住吉区では7人の命が奪われました。

模擬原爆の被害にあった龍野繁子さんは『次世代を担う若者には二度と同じ体験をしてほしくない』と語ります。

【龍野繁子さん(99)】「あの音はびっくりしました。いまだに蘇ります。姉の親友はその爆弾で亡くなったんです。あんな体験は二度としたくないし、ここにいる学生さんたちもそういう思いはしてほしくない」

【参列した中学生】「(模擬原爆のことを)本で読んで知りました。大阪は空襲があったぐらいしか知らなかったのでそういう過去もあったんだなとびっくりしました」

まもなく100歳になる龍野さん。

ことしも追悼式を訪れ、自身の悲しい記憶を次世代に伝えていました。