「毎週秘書の方にレポートを」…元週刊文春編集長・鈴木洋嗣氏が明かす永田町の″スクープの舞台裏″

AI要約

編集者がスクープを追い求める中で、編集長の鈴木洋嗣氏が異色の『つくるスクープ』を生み出した経緯。

鈴木氏が政治家との関係を活かし、政治家の政策提言を取材する過程で、『週刊文春』が異例の成功を収めた出来事。

鈴木氏が定年後に設立したシンクタンクで、政財界のキーマンが訪れる様子など、活動の継続について。

「毎週秘書の方にレポートを」…元週刊文春編集長・鈴木洋嗣氏が明かす永田町の″スクープの舞台裏″

「駆け出しの編集者だったころ、『スクープの99%はリークなんだ』と教えられました。カネや女性絡みのスキャンダル取材もやりましたが、『取るスクープ』は対象者を地位から落とすだけで何か物足りなかった。違うアプローチはないかと思案して辿りついたのが、新党設立や政権交代など、政局が動く時に先んじて肉声を報じる『つくるスクープ』でした」

’04年から4年間『週刊文春』の編集長を務めた鈴木洋嗣(ようじ)氏(64)は政権の中核をなす政治家の「政策提言スクープ」を狙い続けた異色の編集者である。

7月3日に刊行された『文藝春秋と政権構想』(講談社)には、鈴木氏が名だたる政治家といかにして渡り合ってきたかが詳細に記されている。

「雑誌の記者・編集者には番記者制度がないため、取材対象者に長期間張り付くことができません。ただ利点もあって、たとえば縦割り意識がないから、経済取材で得たネタを政治家にぶつけるといったことが可能だったんです」

’96年の橋本龍太郎政権で官房長官を務めた故・梶山静六氏の事務所にはNHKの大越健介氏(62)、時事通信の田﨑史郎氏(74)など、後にキャスターや政治評論家となるエース記者が詰めていた。

「どうすれば彼らに負けないくらいに梶山さんから情報を取れるか。梶山さんは金融政策に一家言ある政治家だった。当時、100兆円と目された隠し不良債権が金融機関を蝕んでいると取材でつかんだ私は、梶山さんに経済政策を提言することを思いついた。そこで毎週金曜日、秘書の方にレポートを手渡すことにしたのです」

◆独走スクープが結実

’97年には山一証券、北海道拓殖銀行が経営破綻。大蔵省(当時)や銀行が隠していた巨額の不良債権が発覚し、日本は未曽有の金融危機に突入した。

「そんな状況で執筆依頼を受けていただいたのが、『週刊文春’97年12月4日号』の巻頭に10ページで掲載した『梶山静六・前官房長官緊急提言 わが日本経済再生のシナリオ』でした。71万部を売り上げてこの号は完売となり、珍しく新聞やテレビが後追い報道を行いました」

梶山氏の信頼を得て世に出した「つくるスクープ」が実を結んだ瞬間だった。

今年6月に定年となり、文藝春秋を退社した鈴木氏は小さなシンクタンクを設立。そこには政財界のキーマンが昼夜を問わず、訪れてくるという。

「梶山さんや細川護煕さん、菅直人さん、安倍晋三さん、菅義偉さんらが政局のど真ん中にいる時に記事を作れたことは編集者冥利に尽きます」

四半世紀前、梶山氏は「このままでは日本は衰退国家になる」と鈴木氏へ迫った。その予言が的中するのを阻止すべく、鈴木氏は政策提言を続けていく。

『FRIDAY』2024年7月19日号より