昭和天皇が「退位しなかった」ことの影

AI要約

昭和天皇が敗戦を受けて退位しなかったことによる影響について、政治経済研究所研究員の冨永望さんの見解をまとめると、天皇制の運用面において大きな分岐点となったこと、天皇の役割が明確にならず、退位議論が国民的な問題となったこと、戦争責任に触れるべきか否かで内外での説明や理解が乏しかったことが挙げられる。

天皇が政治に積極的に関与すべきではないという立場が根強く、天皇の政治的な役割を期待するか否かで意見が分かれ、政府は退位議論を避ける姿勢を取ったため、天皇の役割についての共通認識が今なお定まっていない状況が続いている。

天皇の在位が戦後も続いたことが海外で否定的な印象を与えたこと、退位の理由が日本国民に対しては説得力を持つ一方、海外の被害者には説明が不足していたことも指摘されている。

昭和天皇が「退位しなかった」ことの影

 敗戦をうけて昭和天皇が退位しなかったことは、今も影を落としています。「昭和天皇退位論のゆくえ」などの著書がある、政治経済研究所研究員の冨永望さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】

 ◇ ◇ ◇ ◇

 ◇今の天皇制に影響

 ――憲法が変わっても天皇は変わりませんでした。

 ◆大日本帝国憲法時代と同じ天皇が、日本国憲法のもとでも40年あまり続きました。昭和天皇が退位しなかったことは、その後の天皇制の運用面では、一番大きな分岐点でした。

 ――天皇は戦争に、また政治に主体的には関わっていない建前が関係します。

 ◆天皇を政治に巻き込むべきではないという考え方は戦前からあります。ただ、実際には政治と無関係ではいられないことは、政治に携わる人は知っていました。しかし、おおっぴらには言えないことでした。

 特に敗戦直後の時点では、戦争責任に直結してしまうので、天皇は開戦の決定には関わっていなかったとする建前を貫くしかありませんでした。

 日本国憲法のもとでは、4条に「国政に関する権能を有しない」とありますから、天皇の政治への関与はあってはならないはずですが、実際は国政報告(内奏)などを通じて機会があります。こちらも、政治に携わる人は知っています。しかし、その認識は共有されませんでした。

 ◇天皇の役割はあいまいなまま

 ――天皇の役割が明確になりません。

 ◆1948年には退位について国民的議論になりました。日本国憲法のもとでの天皇の役割が課題でした。

 君主の役割を期待するならば、未成年だった皇太子に務まるのかとなります。吉田茂元首相もそうですが、政治の現場にいる人は、天皇はただいるだけではすまないとわかっていました。

 戦争責任の問題を背負った昭和天皇には務まらないという考え方も、48年の段階では少数派ですが、あります。旧軍人からみると、戦争責任を軍人に押しつけて、自分は責任を取らない昭和天皇を再軍備の時に最高統帥者としてあおぐ気にはなれないということです。

 一方で、天皇は飾り物になり、実害はないのだから無理に退位させる必要はないという考え方があります。昭和天皇でなければだめだと言っているわけではありませんから、消極的支持です。

 未成年の皇太子でも問題はないし、そのほうが日本は変わったと示せるので望ましいという意見も、知識人らにありました。

 天皇に政治的な役割を期待する考え方と、実害はないという考え方があわさって、退位しないことが多数になりました。

 ――同床異夢ですね。

 ◆政府はできるだけ、退位の議論を避けようとしました。当時は天皇制の廃止を主張する共産党に勢いがあり、「やぶへび」を恐れたのです。

 保守勢力の政権独占が長い間続いたので、日本国憲法における天皇の位置づけを、与野党間ではっきりさせずにすみました。その結果、いまだに、天皇の役割についての共通認識がありません。

 ◇戦争をどう考えるか

 ――退位しないならば戦争責任に触れるべきではなかったでしょうか。

 ◆48年には、芦田均内閣で、退位をしないことについての「首相謹話」を出そうとしましたが、できませんでした。芦田は、国民への説明が必要だと考えましたが、宮内庁長官だった田島道治が消極的で実現しませんでした。うまく説明する自信が無かったのだと思います。

 ――52年の吉田内閣で退位しないという昭和天皇のおことばが出されました。

 ◆首相謹話とは形式が違いますが、作成にあたった田島のなかでは、問題意識は続いていました。田島の草稿では、天皇としては戦争については悔やんでいるし、内外に対して申し訳なく思っている。けれども辞めるのではなく、在位して再建に取り組むので理解してほしいという論理になっています。

 しかし、吉田は退位論の再燃を懸念して、戦争への言及があった一節を削除します。退位しないと言った点では答えを出したわけですが、天皇の憲法上の役割を明確にできなかったことは48年当時と変わっていません。

 ――「日本の再建」を理由にしたことはどうですか。

 ◆日本国民に対しては一定の説得力はありますが、海外の被害者には関係ありません。海外には天皇が在位し続ける理由を説明のしようがなかったのではないでしょうか。実際にのちのちまで問題が残ります。昭和天皇が戦後も長く在位したことが、海外の人に否定的な印象を与えたことは覚えておかなければなりません。(政治プレミア)