「老後に趣味がないと不幸」と言う人は無視しなさい 認知症が専門の医師が進言する「本当に幸せな老後」

AI要約

長生きしても充実した人生を送ることが難しいと感じる高齢者の姿や医師の観察

高齢者が日常生活において生きる目的や楽しみを見つけることの難しさ

しかし、自分に余裕があることは幸福である可能性もあるという考え方

「老後に趣味がないと不幸」と言う人は無視しなさい 認知症が専門の医師が進言する「本当に幸せな老後」

脳神経内科が専門の医学博士で、老人医療・認知症問題にも取り組む米山公啓氏による連載「健康寿命を延ばす『無理しない思考法』」。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボによりお届けする。

■長生きしても充実した人生とは思えない

 私の診療所に通院している、とある高齢者の患者さんがよく言う口癖に、「こんなに長生きしてもねえ、何もいいことないですよ」というのがあります。

 90歳を過ぎて、1人で歩いて外来診療に来られており、そのこと自体、驚異的なことだと思うのですが、本人はそんな愚痴しかこぼさないのです。

 この方以外にも、長生きしている方には愚痴が多く、「いやー、今日も充実した日ですね」と言う人はまずいません。

 多くが、身体や家族の不満を私に漏らしていくのです。

 医師として若くして亡くなった人をたくさん見てきました。そのため、90歳を過ぎて歩けることがどれほど素晴らしいか、実感を持ってわかるのですが、当人たちはなかなか自覚できないようです。

 逆に言えば、これまで健康状態に大きな問題がなかったからこそ、現状に感謝をすることが難しいのかもしれません。

 そう考えると、心身ともに健康で長生きするということは、なんとも難しいものに思えてきます。

■何をしていいのかわからない

 朝起きて、なんとも元気が出ない。そうして無理やり起き上がるも、ひざが痛くてたまらない。それでもなんとか起き上がってはみたが、別にやることもないので、しばらくぼんやりと庭を眺めている。

 朝からいきいきと「今日何を楽しもうか」なんて考えられる高齢者はまずいないでしょう。多くの場合「今日は何をすればいいのだろう」、そこから毎日が始まるのです。

 このように、生きる目的がはっきりしない高齢者の生活を見て、あなたはどう思うでしょうか。

 おそらく、否定的に捉えてしまうでしょう。

 しかし、「何をすればいいのかわからない」と考えられる余裕があるだけ、じつは幸福だとも言えます。

 いくつかの病気を抱えた高齢者は、痛みで動けず、1人で外出することもできません。家にいるしかないということになります。

 認知症が進行した患者さんなら、朝、デイサービスの迎えの車が来ます。それに乗って通所施設へ行き、あとはみんなと一緒に体を動かしたり、頭の体操をしたりしなければいけないのです。