日本一の翌年に大失速…工藤公康がホークス監督2年目で痛感した「私のやり方でやってください」の限界

AI要約

工藤公康氏が監督として日本一になった後に失速し、強権的なリーダーシップの限界を痛感した

一方通行のコミュニケーションが不満を引き起こしチームが失速する様子が描かれている

組織図を通して監督の役割を中間管理職として再確認し、自身のコミュニケーションを改善する決意をする

優れたリーダーとはどんな人物か。元ソフトバンクホークス監督の工藤公康氏は「日本一になった翌年に大失速を経験し、強権的なリーダーシップは脆いことを痛感した。みんなが意見を言える場を準備することで、チームがうまく回り始めた」という――。

 ※本稿は、工藤公康『プロ野球の監督は中間管理職である』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

■日本一になって一方通行のコミュニケーションが増えた

 私は2015年にホークスの監督として就任するにあたり、ユーティリティプレイヤー(複数のポジションを守れる選手)の育成をはじめとする数々の策を打ち出しました。

 そして現実に、日本一になれた。確たる結果を得たことで、「このやり方でいいんだ」と自信がついた反面、選手やコーチ、トレーナーに対しても、「私のやり方でやってください」という一方通行のコミュニケーションが増えていったように思います。

 選手・コーチ・トレーナーから上がってくる意見や提案も、表面的には聞いたものの、話し合いの最後は「私のやり方でやってください」で終わっていました。

 「なんだ、結局は自分の話を聞き入れてはくれないではないか」「自分は監督がやりたいことを実現するための存在でしかないのか」――。選手・コーチ・トレーナーの中に、このような不満が溜まっていったことは想像に難くありません。

 ただ、2015年は日本一になり、2016年シーズンも、開幕してからしばらくは首位を独走していましたから、ある程度、「まぁ仕方ない」と納得してもらえる部分はあったのでしょう。

 しかし2016年のシーズンを終えたとき、私は「自身の立ち居振る舞いを見直さなければならない」と痛感することになります。

■うまくいかなくなると不満やいらだちが表面化する

 序盤こそ、2位チームを大きく離して独走していたホークスですが、中盤以降に急失速。最終的には、最大11.5ゲーム差をつけていた日本ハムファイターズに大逆転を許し、シーズン2位という結果に終わってしまったのです。

 不満やいら立ちは、うまくいっているうちは、さほど大きくはならないものです。しかし、ひとたびうまくいかなくなると一気に表面化します。

 リーダーが「私のやり方でやってください」と要求するコミュニケーションは、窮地に立たされたとき、とても脆いのです。

 歴史的な大逆転を喫して優勝を逃すと、前年はあれだけ褒め称えてくれたメディアから、数多くのお叱りを受けるようになりました。

 前年に比べて、チームの力が落ちたわけではありません。失速の原因は、私のコミュニケーションがつたなかったことにあるのです。

■「監督とはどうあるべきか」を再考するために組織図を書いた

 失意のシーズンを終え、私は、「監督とはどうあるべきなのか」を考え直すことにしました。

 そもそも「監督」とは、どういうものなのか。考え直そうとしたとき、最初につくってみたのがチームの「組織図」です。

 私は本当に、ゼロから、「監督」とは何者なのかを考え直そうとしたのです。

 チームに携わるいろいろな方々を組織図に当て込んでいく中で、ひとつの事実に気づきました。

 監督とは、絶対的なリーダーでも、大きな組織を率いる長でも何でもなく、会社の「中間管理職」のような立ち位置なのだという事実です。

 ホークスというチームのトップは、監督である私ではなく、孫オーナーです。その直下に王会長が位置し、球団社長がいて、GMがいて、ようやく私が出てきます。

 ――1軍の監督とは、自身の野球観を頼りに方針を押しつける唯我独尊のリーダーではなく、編成部長(今のチームに足りない部分を考え、ドラフトやFA、トレード、外国人選手獲得などの人事戦略を行うポジション)とともに、勝つチームづくりをする仕事なのだ。そのためには、各コーチ陣や2軍監督、3軍監督、トレーナー、データスコアラーたちとともに、選手がレベルアップする環境を整える必要があるのだ。そして選手たちとも常にコミュニケーションをとり、日々パフォーマンスを発揮しやすく、成長しやすい状態でいられるよう心掛ける必要があるのだ――。

 組織図を書き上げて、私は自身のコミュニケーションが、組織の中の「中間管理職」として求められているコミュニケーションとは大きくかけ離れていたことを、改めて思い知りました。

 このままではいけない。遅まきながら、でも今すぐに、自分自身を変えていかなければいけないのだと決意しました。